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『サピエンス全史』に見るイスラエルの大学教育2017.11.18

アメトーークでも紹介されたベストセラー「サピエンス全史」

(スクリーンショットより)

先日放送された「アメトーーク 本屋で読書芸人」では、メイプル超合金・カズレーザーが出演しユヴァル・ノア・ハラリ教授の「サピエンス全史」の上下巻を紹介していました。
共に出演していた東野幸治も一緒になって(彼は上巻だけですが)勧めていましたね。本の内容については2人が端的に言い表していたかと思います。
・人類が始まって繁栄するまでの軌跡を物凄く面白く紹介している。
・人間が発展したのは同じ勘違いを共有してきたから。
作者の意図と結論をうまく一言で言い表していたと思います。


この本については色々なサイトで書評がされ尽くしてきていますし、クローズアップ現在でも取り上げられているのでここでは必要ないかなと思います。私自身日本語ではまだ読んでいませんので、このコラムではベストセラーから垣間見えるイスラエリーの持つ民族性と大学教育について、私が感じたことを中心に紹介できればと思います。


このサピエンス全史、特に上巻は彼が教えていたヘブライ大学の「世界史入門」というコースが下敷きになっています。ヘブライ大学の文系の生徒のほぼ全員、そして理系の生徒も「他分野選択コース」という枠で多く受講しているヘブライ大学でも看板のコースで、2011年の出版後はヘブライ大学一の人気コースになりました。そのコースの内容や生徒から出た質問、それに対する回答などがベースとなってこの「サピエンス全史」は生まれました。

日本語訳ではどのような言葉遣いになっているかどうか分かりませんが、ヘブライ語で読むと格式張った論文を読んでいると言うよりも、面白いコースを受講している気持ちにさせてくれるような一冊です。もちろんはある程度アカデミックでヘブライ語の原題も「人類史の概容」と堅いのですが、大学の入門的なコースがベースになっていることもあり、本のいたるところにイスラエリーらしいユーモアがちりばめられており、読み物としても楽しめる本になっています。


私がこの本をヘブライ語で読んで思ったのは、「あっ、やっぱりイスラエリー(な考え方)だな」という日々大学で感じていることでした。本の論点でもあり世界中で賞讃を集めているのが、「人が現在世界をこれだけコントロールできるようになったのは、フィクションを創造しそれを信じることによって、どの動物も出来なかった大規模な共同作業ができるようになったから」というもの。フィクションへの信仰心、と聞くと現代人は宗教を想像しますが、現代の司法の基盤になっている人権や現代政治の基となる国民や国家、そして経済の基本であるお金なども、客観的に実在するものではなく神・宗教と同じような人の想像・創造によるフィクションなのだ―という独特な見方から人類史が書かれていました。


現在45か国語に翻訳されている。

(各語Google image検索より)


しかしこれってちょっと考えると誰でも理解できる、単純なアイデアなのです。彼の講演を聞いて、そしてサピエンス全史を読んで多くの人はハッとしたと同時にでも「ちょっと考えればそうだな、当たり前の事実だな」と思ったのではないでしょうか。難しすぎて全く理解できなかったという人はそんなに居ないはずです。私たちにはハラリ教授のような発想・思考回路はありませんでしたが、例に挙げられている人権・司法・国家・会社・経済など私たちにとって身近なものたちばかりでした。

同じ材料を使っているのに全く違う料理法で、考えつかなかった一皿が目の前に出されるが、口にして少し考えを巡らせれば至極理に適った料理だと気付いて納得する反面、「どうやってこの発想が」と「なぜ今まで気づかなかったのか」という2つの疑問がでてくる―

少し下手な例えですが、それがサピエンス全史から見えるイスラエリー的な考え方であり、私が日々ヘブライ大学で感じている事でもあります。「そういう思考回路や発想も博士や教授という学歴や知識があるから出てくるものだ」と思われるかも知れません。確かに知識の引き出しが多ければ多いほど、その発想が出てくる確率も上がりますし裏打ちされたものになるでしょう。しかし私が驚いているのは教師陣だけではありません。ゼミのディスカッション中に出てくる発言はもちろん、「世界史入門」のような100人以上いるコースで挙がる生徒からの質問や意見に驚かされる事も日常茶飯事なのです。

やはりこの『発想力』の違いは日本やアジアにおける知識注入型と、イスラエルにおける双方向の「一緒に授業を作っていく」という教育の違いにあるのではないか、という月並みな結論に辿り着くのでしょう。サッカーなどでも「ブラジルの決定力やスペインのパスサッカーは、やはり素地が違うから真似できない」などと言われますが、教育にもやはりその国の持っている素地というものがあるのではと思います。


例えば大きなコースでも講師がある程度話し終わると、質問や意見を生徒に聞くことがあると思います。日本などではゼミはともかく、数十人以上のコースではなかなか質問がどんどん出てくるというようなことはあまりないのではないでしょうか。しかしヘブライ大学の授業では必ずと言ってもいいほど質問がいくつか出てきますし、手を挙げずに教授の話にカットインしてくる生徒も多数います。また、純粋な質問だけでなく講師に対して少し挑戦的な質問が出てきたり、時には真っ向から反対意見が出て来る事もあります。そして教師陣もそれに対して嫌がる様子は一切ないですし、その受け答えを見ていると楽しんでいる節があります。時には「その考えはなかったし面白い」と生徒の反論にちょっと納得したり、「もう少し聞きたいから授業後に来て欲しい」や「それについては分からないから次の授業までに調べておく」というような事も多々あります。
欧米は一般的にこういうスタイルなのでしょうが、ユダヤ教や聖書のカンファレンスなどで海外から世界的な権威が来た時も、一介の大学生が反論している様子や大家たちが講演後に「活発なディスカッションが楽しかった」と一様に言って帰るのを見ると、イスラエルの大学の授業スタイルは欧米とも少し違うようです。

今年1月に行われたハラリ教授(歴史学部)と地理学の教授のジョイント・セミナー。テーマは「人類と環境」。

Youtubeヘブライ大学公式アカウント より

この異常なまでのディスカッション気質には、中東という自己主張の強い民族性の他にもユダヤ教の神学書(タルムードやミシュナなど)に多く見られる意見の多様性というのもあるのではと私は思います。これらの書物の中ではもちろん神学的な議論が行われているのですが、正統と認められた結論のみを述べるのではなく
「Aはこう言った、Bはこう言った、そしてCはこう言った」
などと決定までのディスカッションが描かれていますし、最後の結論すら書かれていないこともしばしばです。もちろん現在のユダヤ教にはある程度決まった正統な神学はあるものの、相反する意見に対する寛容な姿勢は多くのユダヤ文献内に見られます。このような歴史が育んだ民族性が、ユダヤ人のディスカッション好きとそこから新しく生まれる多くの発想を生んでいるのではないでしょうか。

さて最後になりますが、ハラリ教授の本を読んでその扱う分野の幅広さと著者の広範な知識に驚いた人も多いのではないでしょうか。その裏には彼の博学以外にも、イスラエルの大学がもつ学際的傾向が大きな理由として考えられます。
例えばヘブライ大学のキャンパス内の喫茶店などに行くと、教授同士や時には学部、さらには所属大学が違う教師陣の間に個人的な交友関係があるのを目にする事ができます。このような個人的な関係からお互いのコースにゲスト講師として大学を介さず個人的に呼んだり、ジョイントのプロジェクトを始めたりと、他の国と比べても横の繋がりが広く強いように感じます。このような学科・大学間の壁の無さと個人的な関係が、専門分野の学識はもちろんのことハラリ教授のように広い知識と引き出しを持った人材を多く生む秘密なのです。
ちなみに私は今比較宗教学のあるゼミを受講していますが、その講師の専門分野は死海文書となんと古典梵語大文法(パーニニ)。大学側も学士の生徒には主専攻の他に副専攻をとることを推薦しており、多くの学生がダブルメジャーで大学を卒業しています。民族性やメンタリティーもですが、このような大学の持つ雰囲気やシステムもサピエンス全史に見られる広い視野や柔軟な発想を生んでいるのかも知れません。


「バラガン」とはごちゃごちゃや散らかったという意味のイスラエルで最もポピュラーなスラングです。ここでは現地在住7年のシオンとの架け橋スタッフが、様々な分野での最新イスラエル・トピックをお届けします。



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