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イスラエルで高まる教会への理解   ~ユダヤ人向けの教会ツアーに参加~ 2018.12.1

多くの教会が建つエイン・カレム。中央はロシア正教の修道院、右にあるのがツアーで訪問した訪問教会

師走に入りキリスト教人口が1%の日本でも、クリスマス・ムードを感じる事が多いのではないでしょうか。さてイエスが実際に生まれた「本場」イスラエルでは、街を歩いていてクリスマスを感じる事はほぼありません。ユダヤ人とキリスト教との歴史をご存知の方は分かるかも知れませんが、神(イエス)を殺したという事からキリスト教では反ユダヤ主義が生まれ、多くのユダヤ人が迫害されてきました。ですからユダヤ人がクリスマスを祝う事は考えられませんし、「イスラエルはクリスマスに最も近く、また最も遠い国」と言えるかも知れません。さて欧米や日本から「本場のクリスマス」を見に来られた巡礼客が失望する、そんなイスラエルのクリスマスですが、世俗派のユダヤ人を中心に近年、クリスマスやキリスト教に対する理解が高まっています。

現在、エルサレム旧市街の入り口にあるダビデの塔・エルサレム歴史博物館は「エルサレムにおけるキリスト教のルーツ」と題し、計5回(毎週金曜)のツアーを行っています。毎週のツアーには各々テーマがあり、それに沿ったエルサレムの教会やキリスト教の聖地を回っていくというもので、博物館で研修を受けたベテランガイドによるツアーという事で筆者も参加する事にしました。

洗礼者ヨハネ誕生教会を見学するツアー一行。地下にはローマ時代のアフロディテ神殿が。


参加したのは第1回目の洗礼者ヨハネに関するツアーで、エルサレム南西部にあるエイン・カレムの教会群を見学しました。4・5世紀のビザンチン時代初期からエイン・カレムは洗礼者ヨハネが生まれた場所として多くの教会や修道院が建てられ、現在でもカトリックや正教会の重要な巡礼地になっています。


最初にエイン・カレムの中心にある「洗礼者ヨハネ誕生教会」を訪れ、ヨハネに関する背景が説明されました。旧約聖書におけるヨハネのひな型というと預言者エリヤが一般的ですが、興味深いことに、このツアーでは預言者サムエルとの類似点が強調されていました。ガイドと聖書に詳しい参加者が旧約・新約聖書を引きながら、

●サムエルの母ハンナは、ヨハネの母エリサベツと同様不妊の女性であったにもかかわらず、神の介入により身ごもった。
●サムエルは預言者になりメシアのひな型であるダビデに油を注いだのと同様、ヨハネはイエスに洗礼を授けた。

というような、預言者サムエルとヨハネの類似・関係性について学びました。


そんな解説があった後にヨハネの誕生教会内を見学したのですが、中ではカトリック巡礼者によるミサが行われており、そこでガイドは聖餐式の順序に関するトリビアを話してくれました。 キリスト教において聖餐式は最後の晩餐の記述にあるように「パン→ワイン」という順序なのですが、ユダヤの伝統ではまずワインを祝福して飲みその後にパンを祝福して食べます。しかしイエスが生きた1世紀、このパンとワインの順番が宗派によって違っていたのです。パリサイ派は「ワイン→パン」だったのですが、洗礼者ヨハネが関係していたと考えられ死海付近の荒野で発展したエッセネ派は共同体で食事をする際、イエスと同様、最初にパンを食べていました。この「パン→ワイン」という順で祝福していたのは、死海文書からも分かっています。ですので、ヨハネからエッセネ派の影響を受けたイエスは、おそらくパン→ワインという同派の伝統を踏襲しそれが後に聖餐式になっていったのでは、とガイドが話してくれました。


訪問教会。エイン・カレム中心地から徒歩5分。


ヨハネ誕生教会の後は、「訪問教会」を見学しました。
この教会も誕生教会と同様、カトリックのフランシスコ会の教会で受胎告知の後にイエスの母マリアが親戚であるヨハネの母エリサベツを訪問したことを記念する教会です。この教会は2階建てになっており、下の階にある教会はヘロデ王が2歳以下の男子を虐殺した際にヨハネと母エリサベツが身を隠していた場所、そして上の階が訪問教会になっています。

現在の教会は1955年に再建されたものですが、その下からは十字軍時代そしてビザンチン時代の教会跡が見つかっています。教会内に残っている、ヨハネが身を隠していた際に水を飲んだとされる古代の井戸やビザンチン時代のモザイクなどを見ながら、イエスとヨハネの幼少期についてガイドが新約聖書を読みながら案内してくれました。


3番目に訪問した教会は、シオンの姉妹修道院。

シオンの姉妹会というのは19世紀にカトリックに改宗したユダヤ人神父、ラティスボン兄弟によってユダヤ人伝道のために始められた修道会。当初は慈善活動を通したユダヤ人への布教という創設時の目的を前面に出していたのですが、第2バチカン公会議を機にユダヤ人宣教を放棄し、現在はユダヤ人との宗教間対話に力を入れています。ちなみにヘブライ大学の講師がシオンの姉妹会に招待され、ユダヤ教やイスラエルの歴史・考古学などの講義も行っているようです。


シオンの姉妹修道院の敷地内にはゲストハウスも

(sioneinkerem.infoより)

そんな背景もあり、この修道院に住む修道女の皆さんはユダヤ教について学んでいるようでした。ガイドの友人で年配のシスターは、ベツレヘムの大学でユダヤ教やユダヤ文化についてパレスチナ人たちに教えているとの事。講義を受けているパレスチナ人学生はどのような反応を示しているのか、と参加者が質問すると、シスターはこう答えられました。

働いて30年以上になりますが、イスラム教とユダヤ教の類似点を知るなかで、「ユダヤ人=悪者」という偏見を持たないパレスチナ人の若者が少しずつではあるが現れていると感じています。私はクリスチャンとして希望を持って、パレスチナの大学で教えているのです。

筆者ももちろん、参加者全員が「パレスチナの大学でシスターがユダヤ教を教える」という事にびっくり。貴重なお話しを聞くことが出来ました。

またユダヤ教との宗教間対話を進めていることから、この修道院は親ユダヤのクリスチャンとして知られているようです。ツアーの他にも多くのユダヤ人見学者が来ており、中にはキッパを被った宗教的な家族や若いカップルが修道院の庭を散策していました。また修道院内にはゲストハウスがあり、週末を前にユダヤ人が何組かチェックインする姿も。ヨーロッパの雰囲気を感じながら週末を過ごせるということで、ユダヤ人の間でもちょっとした人気のスポットになっているようです。


計4時間ほどのツアーを通して、ユダヤ人の持つ教会やキリスト教に対する「歴史的アレルギー」が、少しずつではありますが和らいでいるのを感じました。

このようなキリスト教や教会をメインにしたツアーが、エルサレム市の博物館によって企画されている事自体が2・30年前には考えられなかった、と年配の参加者。参加者は約20人ほどだったのですが、皆さん新約聖書や教会に対して興味を持たれている方ばかりで、ガイドによる新約聖書のユダヤ的背景の説明を聞きながらメモを取る方もいました。ツアー客以外にも多くのユダヤ人が修道院を見学したりゲストハウスで週末を過ごしたりと、キリスト教に対する肯定的な理解が広がりつつある事を体感出来たのは、大きな収穫でした。

また筆者の「平たい顔」はやはり目立つようで、「あなた何人?なぜヘブライ語を話せるの?」というような質問からツアー参加者との交流(正確には質問攻め)という、嬉しい副産物も。ツアー後には参加者数人とエイン・カレムのお洒落なカフェで、ユダヤ教とキリスト教についての話に花を咲かせました。

2000年の時を超え、ユダヤ教・キリスト教という姉妹宗教は一歩ずつではありますがお互いに歩み寄っているのかも知れません。


「バラガン」とはごちゃごちゃや散らかったという意味のイスラエルで最もポピュラーなスラングです。ここでは現地在住7年のシオンとの架け橋スタッフが、様々な分野での最新イスラエル・トピックをお届けします。



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