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上海でユダヤ人を救ったのは日本か?中国か?2018.10.28

リブリン大統領と王岐山副主席の会談についてのツイート

(https://twitter.com/GiladCohenより)

10月22日から4日間、中国の王岐山国家副主席がイスラエルを訪問しました。ネタニヤフ首相やリブリン大統領などと2国間の更なる貿易・投資の拡大や経済協力について話し合ったようです。またヤッド・バシェム(ホロコースト記念館)や嘆きの壁などを訪問し、文化交流も行ったようですが、こんなツイートがアジア担当のイスラエル人外交官によってされており、少し気になりました。

イスラエル大統領ルーベン・リブリンと中国副主席王岐山がエルサレムで会談。両国に共通する古代文明や、ハルビンや上海でホロコースト時にユダヤ人が保護されていた事、そして今後のイノベーション協力についての明るい展望を話し合った。

というツイートで、イスラエル政府や外務省の公式アカウントがリツイートしています。このツイートを見て、何とも言えない気持ちになりました。大戦中、上海に寄留していたユダヤ人たちが助かったのは紛れもない事実なのですが、その上海は当時日本軍の占領下にあったからです。


上海ゲットーで「救われた」ユダヤ人の命

1930年代のドイツはナチスによる独裁政権、そしてホロコーストへの道を歩み始めていました。そしてイギリスやアメリカなどユダヤ人に同情的だった大国もユダヤ人受け入れの制限を行っていたため、ヨーロッパのユダヤ難民にとっては逃げ場のない状態でした。そんななか上海は「世界で唯一の無査証都市」だったこともあり、1933年から41年までの8年間で約3万人のユダヤ難民がヨーロッパから上海にやって来、そのうちの数千人は上海を経由して第三国に逃げる事ができたのですが、多くは上海に大戦終結まで留まったと言われています。その中には、杉原千畝の命のビザによって難を逃れたポーランド系ユダヤ人約1000人もいました。杉原ビザを受け取った数千人は敦賀から日本に入り神戸に落ち着き、日本滞在中にアメリカやカナダ、中南米やイスラエルへの移住ビザの手配に奔走したのです。無事ビザを取得できたユダヤ人たちは第三国に向かうことが出来たのですが、ビザを得られなかった人たちは上海のユダヤ人地区に送られる事となったのです。

今でも名残が残る、上海ゲットーがあった場所の現在の様子。

(flickr.comより)

当初はアメリカのユダヤ人団体や、19世紀から上海に移住した豊かなイラク系ユダヤ人コミュニティーなどの援助などもあり、ヨーロッパからの難民たちはコミュニティーに参画し上海のユダヤ人社会は繁栄していました。しかし41年12月に日本がアメリカ・イギリスと開戦すると、上海のユダヤ人たちは危険な立場に立たされることになります。アメリカのユダヤ人団体は敵国である上海への支援ができなくなり、バグダッド系ユダヤ人は英国籍を所持していたため抑留されこちらも援助ができなくなったからです。


そんななかユダヤ人に対して理解を示していた派が日本軍内でも勢力を失い、日本は占領地に居るユダヤ人に対し強硬策を取り始めました。そしてまさにこの時、ワルシャワでユダヤ人虐殺を主導し「ワルシャワの殺人鬼」とも呼ばれたヨーゼフ・マイジンガーがゲシュタポの駐日本主席として日本に赴任したのです。


マイジンガーはドイツと同盟を結んでいるにもかかわらずユダヤ人排除に協力しない日本に対し、「上海ユダヤ人問題の最終的解決」を提出しました。その計画によると42年9月にあるロシュ・ハシャナ(ユダヤ歴の新年)でユダヤ人たちが集まる機会に乗じてユダヤ人を捕獲し、その後の計画については3つの選択肢が用意されていました。


1.船にユダヤ人を乗せ東シナ海沖まで運び、撃沈または漂流し餓死させる。
2.鉱山で強制労働を課し、過労死させる。
3.収容所に収監し人体実験を行いゆっくりと死なせる。


こんなナチスドイツからの圧力を受け上海を支配する日本軍司令部は、ユダヤ人コミュニティーのリーダーと面会し「なぜドイツ人たちにそこまで嫌われているのか」という質問をしました。するとハシディズム(敬虔主義)のラビ、シムオン・ショロム・カリシュがこう答えました―

「ユダヤ人の起源はアジアにあり、ナチスはアジア人を嫌っているからです。」

そしてラビはそれを証明するかのように、ナチス軍司令官が日本人女性と結婚した事を非難するドイツ紙の社説を見せたと言われています。


最終的に日本はナチスドイツの要求を拒否し、上海において「ホロコースト」が起こる事はなかったのですが、「上海ゲットー」の名で知られる無国籍難民隔離区を設置しユダヤ難民を移住させました。この決定は日本軍上層部のナチスへの配慮からだと考えられています。

ユダヤ人の中国人の女の子。ヨーロッパのゲットーとは違い、ユダヤ人と中国人が共に生活し子供たちは遊んでいた。

(world.wng.orgより)

確かに生活環境は良くなかったのですが、同地区には地元の中国人や日本人が住むなどユダヤ人を隔離するヨーロッパのゲットーとは違い、壁や柵で囲まれる事もありませんでした。また43年の冬にはアメリカ政府の許可により上海への送金が行われたことにより生活環境も格段に向上し、多くのユダヤ人難民が大戦終結まで生き延びることが出来たのです。


この上海で生き残ったユダヤ人の中には、ベラルーシのユダヤ教神学校「ミール・イェシバ」の生徒数百人も含まれています。杉原ビザにより救われたこのイェシバは現在「ヨーロッパで唯一ホロコーストを生き延びたイェシバ」として、エルサレムで最も大きなイェシバになっています。また超正統派の一家に育った筆者の妻に聞いたところ、超正統派の世界では「ミールで学んだ」というだけでその男性は縁談に困らないとか…
それほどの「名門校」が、日本人や日本軍によってホロコーストを免れたというのは面白い歴史です。

上海でのミール・イェシバ。生徒やラビたちは杉原の命のビザ、そして上海ゲットーによりホロコーストを免れた。

(ushmm.orgより)

さて現在上海市内には「上海ユダヤ難民記念館」が建てられ、もともとは杉原千畝の写真があったようなのですが今はそれも無くなり、「日本がユダヤ難民に苦痛を与えた」というネガティブな面ばかりにスポットライトが当たり、まるで中国がユダヤ人保護に貢献したかのような展示内容になっているようです。最初に紹介した会談でも副主席がリブリン大統領に対し「日本軍のもとユダヤ人が生き延びた」という事実を話したとは、あまり考えられません。そして中国は今後もこの「歪んだ上海ゲットー像」をイスラエルや国際社会にアピールしていく事が予想されます。日本がアジア各国に対して残虐な行為を起こったことは事実でもちろん反省すべきですが、そんな日本軍によってユダヤ人が生き延びることが出来たのも事実です。

上海でユダヤ人を救ったのは誰か― 日本は正確な情報をイスラエル、そして国際社会に発信すべきかも知れません。


「バラガン」とはごちゃごちゃや散らかったという意味のイスラエルで最もポピュラーなスラングです。ここでは現地在住7年のシオンとの架け橋スタッフが、様々な分野での最新イスラエル・トピックをお届けします。


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