イスラエルについて- イスラエルの歴史

建国とその後の歩み

ナチスのユダヤ人迫害を生き延びた多くのユダヤ人たちは「自分たちの国を持つしか無い」と考え、パレスチナの地を目指すようになりました。 そして、当時イギリスの管理下だったパレスチナでは、ユダヤ人とアラブ人の争いが激化してきました。

こうした状況に対処するため、1947年に国連でパレスチナをユダヤ国家、アラブ国家、国連関連管理地区の3つに分ける分割案が採択されました。 その決定をユダヤ側は受け入れたのですが、アラブ側は拒否しました。 翌1948年5月14日、イギリスによる委任統治期間が終了後、テルアビブで初代首相ベングリオンによる独立宣言が行われます。

しかしその翌日、周辺のアラブ諸国がこれを認めず、武力攻撃を開始しました。 周囲をアラブに囲まれ、イスラエルの小さな軍隊ではまったく勝ち目がないと思われていたのに、この戦争にイスラエルは勝利します。 これ以後、イスラエル軍とアラブ軍との間で何度も戦争が行なわれています。

1948〜49年 独立戦争(第一次中東戦争)
独立宣言直後に始まったこの戦争は、国連の停戦勧告を受けて終了しますが、結果はイスラエルが国連分割案より多くの領土を獲得し、エルサレムは旧市街地を含む東地区がヨルダン領に、西地区がイスラエル領になりました。 またこのとき、戦争を逃れるために、65万人というパレスチナ難民が発生しました。 この背景には「イスラエル攻撃の巻き添えにならないように、一時アラブ側に避難せよ」とアラブ諸国がパレスチナ住民に呼びかけたこともあります。
また、この戦争の後で、アラブ諸国から数十万人のユダヤ人が追放され、財産を奪われてイスラエルに逃れて来ました。 イスラエルはユダヤ人の難民を全て国民として受け入れましたが、アラブ諸国はパレスチナ難民の同化を拒否しました。 そして、現在に至るまで「難民」の地位のままにしているため、難民の人口は大幅に増加しており、中東問題の解決をますます難しくする要因となっています。

1956年 スエズ戦争(第二時中東戦争)
エジプトのナセル大統領のスエズ運河国営化宣言により、イギリスとフランスがイスラエルを巻き込んで、エジプトを攻撃しました。 この戦争を契機にイギリス・フランスの中東への影響力は後退し、米・ソ両国が中東における主導権を強めてきました。

1964年5月にPLO(パレスチナ解放機構)が結成され、武装勢力ファタハによる対イスラエルゲリラ闘争が拡大しました。

1967年 六日間戦争(第三次中東戦争)
エジプト軍がシナイ半島に大軍を展開し、国連軍の撤退を求め、イスラエルに対してチラン海峡の封鎖を行ったのを受け、イスラエル軍はエジプト、シリア、ヨルダンなどのアラブ諸国の空軍を電撃攻撃しました。
イスラエル軍は、わずか6日間のうちにシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原など広範囲を占領しました。 またイスラエルはエルサレムの旧市街全域を制圧し、東エルサレムと西エルサレムとの再統一の宣言をしました。
この戦争は、記録的な勝利として知られています。 イスラエル軍の教育課程では、様々な戦争について詳しく学ぶのですが、この戦争だけは題材としてほとんど取り上げません。 それは「明らかな奇跡なので、学んでも仕方が無い」からだそうです。

しかし、この戦争の大勝利は、占領地の支配権という複雑な問題をも引き起こしました。
イスラエルはエルサレムなどの地域を自国領土として併合しましたが、それ以外の土地は管理しているだけだという立場を取っています。
当初、西岸地区はヨルダン領、ガザ地区はエジプト領だったのですが、後に両国がその領有権を放棄したため、現在は「誰のものでもない土地」という、国際法上の奇妙な扱いになっているのです。
また、西岸地区とガザ地区には、右派のユダヤ人たちが政府の支援を受けて入植地を建設するようになりました。 これも、中東問題の解決を困難にする要因の一つです。

1973年 ヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)
エジプトとシリア軍がイスラエル占領地に攻撃をしかけたのをきっかけに、戦争が始まりました。 この日がユダヤ教徒にとってヨム・キプール(贖罪日)という一年の中でも最大の祭日であったため、イスラエル側ではヨム・キプール戦争とも呼ばれています。
この戦争によるイスラエル軍、アラブ軍の犠牲は大きく、またアラブ諸国が石油価格を武器に欧米などに圧力をかけてオイルショックを引き起こし、世界経済にも大きな影響を与えました。
戦争後、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相との間で、米国のキャンプデービッドで合意が成立します。 しかしシナイ半島はエジプトに返還されたものの、パレスチナ問題やエルサレムについての明確な合意はなく、またサダト大統領は裏切り者としてアラブ過激派によって暗殺されてしまいました。

1987年 ガザ地区でイスラエル軍によってパレスチナ人が殺されたことを発端に、パレスチナ人の抵抗運動インティファーダが始ました。

1991年 湾岸戦争勃発
イラク軍のクウェート侵攻を機に、アメリカを中心とする西側諸国が多国籍軍を結成し、イラクに対して開戦しました。 イスラエルは参戦していないにもかかわらず、イラクよりスカッドミサイルによる攻撃を受けます。


→次ページ「和平への歩み」へ

ページトップへ
Copyright © A Bridge between Zion and Japan, All Rights Reserved.