オハレー・ラハミーム 創立10周年記念国際大会レポート

2005年11月1日〜7日まで、恵みの天幕の国際大会は、「信仰の門」を開く(使徒行伝14:27)というテーマに基き、世界15ヶ国、約150名の方々の参加によって開催されました。

大会はゲストにドン・フィント師、ダニエル・ジャスター師を迎え、エイタン・シシコフ師、モシェ・モリソン師の講演の他、オハレー・ラハミーム10年の歴史を要約したビデオ、4つのコングリゲーションの訪問と各リーダーのスピーチ、更にアシェル・イントレータ師が指導する弟子訓練センターの紹介等を通じて、主の御業を崇め熱気溢れる旅となりました。今回は紙面の関係で、3名のスピーカーのお話しを要約しご報告します。

エイタン・シシコフ師、基調メッセージ要旨
 


今回の大会は3つの目的を持っています。1つめは、この10年、神の御手によって導かれた感謝を皆様と共に祝い、2つめに、次ぎの10年をメシアの再臨のために祈り、3つめは、御国を樹立するために主の御前において互いの関係を一層深める機会とすることです。この7日間の執り成しの旅は、御国を来らせイスラエルの救いを促進する為であり、全ての始まりであった使徒的信仰の復興に参加することなのです。
さて私たちは歴史の重大な位置に立っています。エゼキエル書37:4には「枯れた骨に息を入れてあなたがたを生かす」と預言され、エレミヤ書31:33では「律法を彼らのうちに置き、その心にしるす」と語られました。そして、この預言はイェシュアによって成就されたのです。イスラエルにメシアの再臨を実現しこの地を栄光で満たすのに私たちは傍観者ではなく、イェシュアと共に働く者でなければなりません。イェシュアがイスラエルに再臨するには、イスラエルがイェシュアを受け入れなければならないのです。
ヨハネ伝11章は有名なラザロのよみがえりの物語です。ラザロはイスラエルを象徴する人物であり長い間眠っているのです。その墓の石を取りのけることは、「信仰の門」を開くことになるのです。彼は死んでいるのではなく、神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるために眠っているのです。11節でイェシュアは「わたしの友ラザロが眠っているので、わたしは彼を起こしに行く」と語っています。イスラエルはこれまで、十字軍、異端審問、ポグロム、ホロコーストなど過酷な歴史を歩んできました。この歴史はまさにラザロが四日間も墓の中に置かれている光景と同じなのです。
25節で「私はよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」と語られました。イスラエルは枯れた骨ですが、イェシュアを信じる者は、たとえ死んでも生きるのです。だからマリヤはひれ伏して執り成しているのです。
ヨハネ11:35は最も重大で力強い御言です。マリヤが泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをご覧になり、イェシュアはイスラエルのために涙を流されたのです。ヨエル書2:17にも「主に仕える祭司たちは、廊と祭壇との間で泣いて言え」とあります。涙をもって執り成すことこそ、神の御心に加わることなのです。
この春滞在したドイツで、あるドイツ人が私の前に来てホロコーストという悲しい歴史の許しを願われました。私たちは互いに抱き合い、イェシュアを受け入れるメシアニックとして共に祈り泣いたのです。イェシュア・メシアだけが神に執り成すことができるのです。イザヤ書62:10〜11をご覧下さい。「門を通って行け、通って行け。民の道を備えよ。…石を取りのけ。もろもろの民の上に旗をあげよ」と。教会によるアンチセミティズムの石を取り除いて、御国をイスラエルに立てるのです。そして、異邦人とイスラエルは主のパートナーであり、イザヤ書60:1〜3の通り「…もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る」のです。ご覧下さい。多くの異邦人の方々が参加されています。日本、オーストラリヤ、ニュージーランド、香港、アメリカ、韓国など多くの国々からです。これは預言の成就であり私たちへのすばらしい励ましです。
さて、神の御座の前でイェシュアは、イスラエル回復のために執り成しておられます。エゼキエル書37:4〜6に記されている通り、いたく枯れた骨に息を吹き入れなければなりません。命の息です。霊の息をイェシュアは吹き入れたのです。そしてついに、ラザロはよみがえらされました。私たちも墓の前に立ち、愛をもって執り成さなければなりません!「ラザロよ、出てきなさい!」と、私たちの内なる墓に向かって叫ぶのです。これはイスラエルの王なるイェシュアの再臨を呼び起こすものです。使徒時代のダイナミックな伝道の様に、メシアニックは主の復活の証人となるのです。ヨハネ11:44で「死人は手足を布でまかれ顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた」のです。私たちはあらゆる背景からイスラエルを解放し癒さなければなりません。ユダヤ人と異邦人は共に、イェシュアこそイスラエルの王であることを宣べ伝えるのです。ヨハネ12:13の通り「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」と人々が叫ぶまで。

  ダニエル・ジャスター師メッセージ要旨
 


我々メシアニックにとって初代使徒的信仰とは、新約聖書に基づく初代使徒達の教えに一致したものです。イスラエルがこの信仰を取り戻すために最も重要なことは、使徒たちが伝道した福音の意味を再発見することです。しかし、この使徒的信仰の大部分が西洋において失われています。今日、彼らに福音とは何かと尋ねると「イエスが私の罪のために死んで下さったので、イエスを心に受け入れれば、私の罪は許され天国に行く事ができます」と答えるのです。これは福音のほんの一部分であって半分の正しさもありません。むしろ、「イエスを私の救い主として受け入れさえすれば、そのまま罪を犯し続けてもなお天国に行ける」という誤解さえ与えることになるのです。新約聖書における救いとは、イエスを救い主として受け入れるが、主としては拒むというように、どちらかを選択する事ではありません。このような分離した考え方は、19世紀のディスペンセーション運動によって信者の中に入り込んできたもので、「恵み」についての誤った解釈です。福音についてイェシュアは、マルコ1:15で「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と言っています。そして今や神の国は手の届くところにあり、人はそこに入ることができるのです。ある偉大なメシアニックリーダーの言葉を借りれば、神の国は「今」と直接つながっています。神の国はイェシュアをリーダーとする共同体であり、それはコングリゲーションで過ごしている時であり、更に、それぞれの人が携わっている仕事も神の国になるのです。
人道的福音伝道ということも使徒的信仰として重要なことです。使徒行伝4:34に、「人々が地所や持ち物を売って、代金を使徒たちの足もとに置いたと」いう記述があります。困っている人々に直接金品を渡すのでなく、使徒リーダーを通して人道的福音伝道をすることが大事な点です。エイタン師も母体コングリゲーション及び各支部に人道的支援の体制をとって、困っている人々に支援されており、これはまさに使徒的信仰の実践です。このような働きを通して使徒的信仰が回復され、神の国を志向したメシアニック・ジュダイズムになることが我々の願いなのです。

 

レオン・マジン師(コングリゲーション・リーダ)メッセージ要旨

 


ここハイファは,イスラエルの玄関であり信仰のゲートでもあります。(使徒行伝14:27)
イスラエルは何度もマッツアを割って生まれた国です。聖霊が降臨しているこの時代、聖霊を崇め「信仰の門」を開いてゆかねばなりません。ゼカリヤ書4:2〜6、11〜14をご覧下さい。燭台の左右にある2本のオリブの木、オリブの二枝は、主の油注がれたユダヤ人と異邦人を意味します。彼らは主の傍らに立っているのです。そして、1本のメノラとして燃える灯火となるのです。メノラはイスラエルを象徴します。メシアニック・ジューと異邦人は一つとなって、主の体の灯火とならなければならないのです。

  感想と結びの言葉
 


私たちと参加者とは全く初対面の人ばかりでしたが、機会をとらえて互いに語り合い、多くの人々と交流することができました。どの人をとってもほとんど壁を感じさせる事なく、人種、国籍は違っても互いに主にあって兄弟姉妹という雰囲気に溢れていました。今振り返ってみますと、キリストの肢体であるという意識と、主の再臨を実現しなければならないという情熱が、交わされた会話の中に強くにじんでいました。オリブ山での激しい雨の中での説教、ゲッセマネでは、全身ずぶ濡れになりながら続く執り成し、感極まって泣き崩れる人たちなど熱気溢れる執り成しの旅は最後まで変わることはありませんでした。最後の集会では、ユダヤ人と異邦人の区別もなく互いが主の体として燃え、別れを惜しむ集いとなりました。この中でエイタン師は、「イェシュアの弟子であるユダヤ人と異邦人が一つとなることは、霊的に死んでいるイスラエルの最後のリバイバルの為に、絶対欠くことのできない事だ」と力強く語られたのです。
異邦人に「信仰の門」が開かれたのは、まさにイスラエルに福音が戻され、約束がイスラエルによって完成されるためです。オハレー・ラハミームがキリストと共に歩み、彼らの全ての働きを主が祝して下さるよう願ってやみません。私たちもまた聖霊の導きにより、ご計画の成就のためにキリストの肢体として、イスラエルと共に働かなければならないと強く感じました。

阿部和博/福田正明

 
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