恵みの天幕 国際大会と執り成しの旅レポート
(2007年3月1日〜8日)

恵みの天幕は一昨年に続き、「エステルの召命」というテーマで、聖会と執り成しの旅を開催しました。 12カ国、150名以上の人々が集い、主の召しに応える祈りがなされプリムの祭を祝いました。
エイタン・シシコフ師の基調メッセージを中心に要約して報告します。

エイタン・シシコフ師開会のことば
 

イスラエルの救いは私たちの使命です。イスラエルの危機的状況の中で、この聖会に参加された皆様こそ、神の国/聖地イスラエルに導かれるにふさわしい方々です。メシアニック・ジューと異邦人の皆様とが共に学び、祈ることは、互いが主の体として一つとなり、イェシュアの再臨をもたらす備えとなるのです。皆様を心から歓迎します。一緒に祝福しましょう。バルーハ・ハバー・ベシェム・アドナイ!

■このような時のために
エステルとモルデガイが置かれた状況は、今、私たちに迫っている状況に似ています。ペルシャは広大な地域を支配していた帝国でした。今日もまたイランやレバノンがイスラエルを震撼させています。しかし問題は、どのように神の導きに従い、この難局を劇的に預言的に突破しイスラエルの救いを全うするのかということです。エステルに対する神のメッセージは何だったのでしょうか。神は私たちの存在を通して働いておられます。エステル記4章14節の「あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救いがユダヤ人のために起こるでしょう。」とは、他ならぬ私たちに対する召命なのです。

■二つの召命
エステルは断食を求め、自らも断食をしてその時のために備えたのです。5章1〜2節で、彼女は王の前に立ちました。私たちもアッコ、キリヤット、ナザレ、エルサレムにおいて主に応えています。エステルの物語には二つの召命があります。彼女はビリーバーとして召命され、執り成し人として召命されたのです。ユダヤ人だけではなく、全ての国民に通じるビリーバーとして召命され全ての救いに関わっているのです。ユダヤ人と異邦人は共に、王の御座の前に出るべきです。エステルは自らを空しくして、彼女のアイデンティティー、すなわちユダヤ人であることに気付き、「わたしがもし死なねばならないのなら、死にます。」(4:16)と応えたのです。3日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間に向かって立ちました。神の娘として、権威に従う王妃として王の前に進み出たのです。私たちも世界の王の前に立つべきです。エステルは王の目に捉えられ、その前に進み出たのです。これは死をも意味することでしたが、しかしアハシュエロス王の前に立つことを心に決めていたのです。

■召命に応える
イザヤ書6章8節には、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」と記されています。主の声を聞いて、『ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください』と答えました。創世記22章では、アブラハムは神の呼びかけに対して、「ここにおります(ヒネーニ)」と3回応えています。まず神は、アブラハムを試みて言われます。しかしアブラハムは、その御心を全て理解して「ここにおります」と応え、次に、子に対して、そして、子をまさに手にかけようとしたその時も、「ここにおります」と応えているのです。これは神との関係を表しています。イェシュアも弟子である私たちに「死ぬこと」、「自ら決意する」こと、「拒絶する」こと、「選ぶ」ことを求めているのです。エステルは御心の執り成しのために、彼女の人生を捨てたのです。主の前に立ち、王の言葉を待ったのです。ローマ書9章でポーロは、霊なる執り成しをしています。私もイスラエルの救いのためなら、呪われてもよいと考えています。

■イスラエルの救いのために
先のレバノン戦争では、私たちはまさに恐怖の戦慄の中にいました。空襲警報と地を揺るがす爆撃音の中にいたのです。しかし恐れてはいけないのです。「恐れるな」と神は語っていたのです。神は、「ここにいます」と答えるイスラエルを求めているのです。エステル記9章は、主の召命の応えが実を結んだ証です。さて、最も大切な御言葉の一つとして、黙示録12章11節の、「兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。」とあります。ポーランドの典型的なユダヤ人の町であったルーツでは、ホロコーストでほとんどの人たちは殺されました。当時のヨーロッパのユダヤ人の状況を端的に象徴する町です。神は今も困難な出来事を通じて、「私の民として立てるか」と求めているのです。私は主の前に立ちます。死に至るまでそのいのちを惜しむことはありません。私の息子アビは兵役に就いています。イスラエルの人々を守る誓いの式典で、ライフルと聖書を与えられました。イスラエルは霊的戦いの只中にあります。聖なる神よ、どうか私たちに触れてください。

 

ドン・フィント師

 


私たちは、イエス・キリストを信じる一つの家族でありビリーバーです。聖霊が私たちの心を開いて下さり、イスラエルを導いておられるのです。そして、神の恵みによって学び、力を与えられ、祝福に預かっているのです。私たちは霊に従って歩まなければなりません。さて、エステル記1章13節には、「そこで王は時を知っている知者に言った」とあります。私たちは時を知る必要があります。歴代志上12章32節では、「イッサカルの子孫からはよく時勢に通じ、イスラエルのなすべきことをわきまえた人々が来た」と書かれています。今日聖霊は、メシアが来られることを知らせています。私たちは神の約束と神の時が交差するその時点に生きているのです。今、ペルシャでは新たなハマンが現れ、この時に私たちは生きているのです。神の約束の成就は次の世代にかかっています。1967年以降、多くのメシアニック・ビリーバーは、超自然的な体験と信仰を持ってこの国に帰って来ました。イザヤ書6章に「わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」と書かれている通り、今日、この日、ユダヤ人の目は開かれるのです。異邦人もユダヤ人の目が開かれるよう執り成さなければなりません。ローマ書11、12章の通り、神はその民を捨てたのではありません。断じてそうではなく、救いが異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためであり、イスラエルの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となり、全てが救われることを述べているのです。異邦人とユダヤ人の救いは同時に成就されるのです。私たちはアブラハムの約束のために召命されています。イエス・キリストはユダヤ人であり、我々は聖典の民です。再臨のキリストの成就のために、異邦人と選民イスラエルは、共に一つとなって祈り働かなければなりません。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。

  結びの言葉
 


第二次レバノン戦争後のイスラエル国内での様々な出来事に、イスラエルの霊的危機を感じる者は私一人ではありません。しかし他方、イスラエルの預言的、民族的使命に一層心を砕くメシアニック・ジューの人々が起こされてきたことは、主の導き以外のなにものでもありません。キリストの再臨は、イスラエルが選ばれた民としてその使命を全うしなければ成就されません。聖会を主催されたシシコフ師をはじめ、各スピーカーは口々に、「イスラエルの救いは私たちの使命であり、選民イスラエルと異邦人とが一つとなって祈り働かなければならない」と強調されました。「イスラエルに救いをもたらす異邦人の使命」の大きさを、改めて痛感する機会となりました。

阿部和博

 
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