「ショファー2008」国際聖会(9月23日〜10月2日)レポート

2008年9月30日、イスラエルはユダヤ暦5769年という新しい年を迎えました。聖会のハイライトとなったこの日、ショファーを持つ全ての参加者が高らかにラッパを吹き鳴らし、感動のうちに新しい年を祝福しました。
3回目となる今大会には、世界8カ国、135名の方が参加され、聖会は始めの2日間をエルサレムで、残りの7日間はイスラエル北部、キリヤット・ヤムのオハレー・ラハミームに舞台を移し、賛美、礼拝、執り成しの旅と交流の時が持たれました。又、シシコフ師が導く、四つの姉妹コングリゲーションにも訪問し、各リーダーが直面する課題などを伺いました。ロシュ・ハシャナでのメッセージを中心に要約します。

開催について、エイタン・シシコフ師の言葉
 

聖会の目的は、ヨエル2:15〜18の御言葉に信仰で応え、イェシュアの再臨を促進するために、ロシュ・ハシャナにおいてショファーを吹くことです。(レビ23:24)
このショファーは、悔い改めの心を持って主の再臨を願い、神の栄光を宣言し、御国の完成のために人々を喚起し、清め、導くのです。イスラエル国家はリバイバルが求められています。シオンでラッパを吹き、民を招集し、祭司として執り成し、神の霊が注がれるよう泣いて祈るのです。

  アシェル・イントレーター師(リバイブ・イスラエル)
 

「イザヤ書2章には、終わりの日のことが預言されています。『さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの家へ行こう』と。しかし世界は混沌の中にあり、イスラエルは国内外に問題を抱え『産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。』(黙12章)という状況にあります。今こそ、聖地に神の義が示されるよう祈らなければなりません。イェシュアの再臨実現のために世界が震われ、聖霊の火がここイスラエルに注がれなければなりません。」と語られ、師が導く一人の青年パレスチナ人クリスチャンを紹介されました。青年は「西岸地区、エジプト、更に中東地域には幾つかの地下教会が存在し、苦難の中で祈っている兄弟がおり、彼らはジハードを批判しています。」と語ったのです。これを受けてイントレーター師は、イザヤ19:1〜25のエジプトに対する託宣を引用し「主の導きと守りによって、預言が成就している。」とコメントし、更に、正統派からメシアニックビリーバーになった青年を紹介し「イスラエルでは、この様に若い人々の間に福音の回復がなされていることを主に感謝したい。」と結ばれました。

■9月29日の夕刻、ロシュ・ハシャナの前夜祭がホテルで開かれ、リンゴと蜜が用意されました。オハレー・ラハミームのモシェ・モリソン師が「ユダヤ暦の新年は二つあるが、実際に祝うのはティシュリの月のこの日です。」と語られ、前夜祭の祈祷書を朗読し、その後、賛美チームリーダーの、マーク・チョピンスキー師の巧みなリードで大変賑やかな夕食会となりました。

■ロシュ・ハシャナでの礼拝
9月30日、聖会のハイライトである新年の礼拝がモシェ・モリソン師の司式で始まりました。アメリカから参加されたドフ・サイケン師が、創世記22:1〜19を朗読し、その後、シシコフ師は頭から上半身をタリートで覆って前傾姿勢となり、モリソン師の指示で、テキアー(長)、シェバリーム(短)、トゥルアーの3つのパターンで、計29回ショファーを吹かれ、最後は、ショファーを持つ全ての会衆が一斉に吹きならし、拍手と大歓声のうちに新しい年を祝ったのです。

 

ロシュ・ハシャナで語られたメッセージ

 

■エイタン・シシコフ師
「レビ記23:23〜24節で、新年にラッパを吹くのは主の安息の為とあります。ショファーはイサクの代わりにささげられた雄羊の角であり、これを吹くことはイサク燔祭に関係します。創世記22章では、特に7節が大切です。『父よ』『子よ』と呼びかけています。これは神と御子の関係を象徴し、イサク燔祭は『わたしの愛する子、わたしの心にかなう者』(マタイ17:5)、『ひとりのみどり子が、我々のために生まれた』(イザヤ9:6)、その約束の子をささげたことを意味します。『イサクを縛って、祭壇のたきぎの上に載せる」(創22:9)とは、文字通り『涙をもって種まく者』(詩126:5)を指しています。こうして、アブラハムは『ご自身の御子をさえ惜しまない』(ロマ8:32)神の深い御心を味わい、自らを主の前にささげたのです。アブラハムがまさに『その子を殺そうとした時』、神は『わたしを恐れる者であることを今知った』と答えています。アブラハムが完全に神の命令に従った時、神とアブラハムとの関係は根本的に変えられ、神はアブラハムの中に信仰の手本を見て、安息を覚えられたのです。さて、神は大変シリアスな方で『エイタン、お前はわたしに従うか。お前のアイデンティティーは何か』と尋ねています。神は真に『ご自身の御子をさえ惜しまない』方であり、私たちはその恵みに預かっているのです。ショファーは私たちに命じます。『あなたの子をささげよ』と。アブラハムが答えた通り、私も心から答えます。『私はここにおります。ヒネニー』と。」

■「聖地にイスラエルが存在することの意味」
   ダニエル・ジャスター師(ティックン・インターナショナル)
「イスラエル民族は、離散、異端尋問、ポグロム、反ユダヤ主義、ホロコーストという苦難の道を歩み、政治的にはオスマン帝国による支配、英国の統治下にありました。19世紀以降の反ユダヤ主義は、ホロコーストを頂点にして一気にシオニズム運動を高揚させ、イスラエルの独立が叫ばれ、建国が成り、人々は聖地に帰還したのです。この歴史の過程で、神は2つのことをされました。それは、建国とメシアニック・ジューとを起されたことです。建国は政治的な結果ではなく神の御業であり、そして、多くの国の様々な宗派、教派、文化的背景の中から、主が私たちの心を開いて下さり、メシアニックを起されたのです。これは、エレミヤ31:31〜33、エゼキエル36:22〜23の預言の成就です。しかし、信仰が完成する前に、私たちがイスラエルに帰還している意味は何でしょうか。それはイェシュアの信仰による恵みであり、主が偶像から清め、新しい心と新しい霊とを授けられた結果なのです。だから、私たちは悔い改め『わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる』(エレミヤ31:33)という、主の御心を語らなければなりません。今イスラエルは、国内国外において困難に直面しています。イスラム世界は常にイスラエルの脅威となり、国内ではイスラエル自身のモラルの低下、人口問題、ユダヤ性の問題など課題は山積しています。私たちは聖霊を崇め、霊における根本的な変革を約束の地に起こし、イェシュアの再臨を実現しなければなりません。それが聖地にイスラエル民族が存在している意味なのです。」

■イスラエル民族の使命と異邦人の役割(エイタン・シシコフ師)
「私はベトナム戦争当時、メキシコ州にいてヒッピー生活をしていました。しかし神の恵みによって『福音の僕』(エペソ3:7)とされ『あらゆる源なる父に祈る』(エペソ3:15)ことを教えられました。Uペテロ3:9にある『すべての者が悔い改めに至ることを望み』の通り、全ての人は悔い改めを求められています。さて、イスラエルは主の栄光をあらわし、諸国民の光となる(イザヤ49章)と預言され、『祭司の国』(出19:6)としての使命を預かっています。マタイ伝1章1節以降をみれば、私たちに神の計画があることが良くわかります。エジプトに売られたヨセフはやがて、イスラエルを救う者となりました。このヨセフの働きはイェシュアを現し、イェシュアは世界を救うものとなったのです。ヨハネ11章のラザロは、イスラエルを指します。エゼキエル37章の枯れた骨も、イスラエルを指しているのです。『涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る』(詩126:5〜6)という御言葉は、私たちの使命を語っています。そして異邦人は「イスラエルを奮起させる」(ロマ11:11)役割を持ち、イザヤ60:1〜3の「あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ」という預言は、異邦人の心の中に主の朝日が上り、主の栄光が現れるという意味なのです。私たちはパートナーでなければなりません。執り成し、悔い改め、信仰と支援によって、イスラエルにジェラシーを起して頂きたいのです。これはヒラムがソロモンに木材を提供した関係です。事実、私たちの会堂は、異邦人の皆様の力で購入することが出来たのです。ナオミとルツのような間柄こそ、私たちが今求められている関係であり、ここにイェシュア再臨の鍵があるのです。」

  終わりに
 

新年を聖地イスラエルで、しかもメシアニック・ジューの人たちと共に祝福できましたことは特別の恵みでした。しかし、イスラエルの人々が新しい年を迎える毎に、創世記22章を朗読して「記憶」すべきこととは何か、あらためて考えさせられます。ここに、御心にかなうイスラエル回復の鍵が隠されていると思うからです。

阿部和博

 
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