第四回 国際聖会と執り成しの旅(10月20−28日)
テーマ:「収穫の期は熟す」

恵みの天幕は、ティックン・インターナショナル、リバイブ・イスラエルとの共同で、第四回国際聖会を開催しました。そして20カ国、150人の方々が参加されました。
聖会の前半5日間は、オハレー・ラハミームの会堂で開かれ、アッコーやメギドなど聖書の地を訪ねながら、4つの姉妹コングリゲーションを訪問しました。後半の4日間はエルサレムに移動し、ヤドバシェム、旧市街、ゲッセマネなどを見学し、歴史を振り返りながらイェシュアの信仰を深めました。期間中、バト・ミツバの儀式も行われ、参加者から祝福と賛美の盛大な拍手が贈られました。シオンとの架け橋のスタッフは都合により、前半のみの参加となりましたが、エイタン・シシコフ師、ダニエル・ジャスター師、アビシャロム・テクレハイマノット師の講演を要約してご報告とします。

オープニング・メッセージ  エイタン・シシコフ師
 

ホセア書6章、ヨエル書2章には「主に帰り」、「恵みの雨をもって私たちを義とされた主を心から知り、主によって喜び楽しめ」とあります。枯れた民に息を与え、癒し、清め、導いて下さった主の前で私たちは悔い改め、心から主を知らなければなりません。かつて私は、ニューメキシコ州でヒッピーをしながら自給農業をしました。荒涼とした地で収穫を得るには、石を除き、草を抜いて土地を耕さなければなりませんでした。そして収穫を備える人が必要だったのです。

神による収穫の備え
ホセア書には、リバイバルが2000年後にイスラエルに起きることを暗に伝えています。そして今、目をあげて畑を見ると、はや色づいて刈り入れの時を待っているのです。(ヨハネ4:35)、神は収穫の備えを行ってこられたのです。今日私は、主の備えについて3つのステップで説明します。まず、ユダヤ人の王として十字架に架けられたイェシュアの悲劇は、全てのイスラエルに救いをもたらしました。神は契約を守られたのです。使徒行伝17章の通り、使徒たちによってイェシュアと主の復活が述べ伝えられ、異邦人に福音の扉が開かれました。しかし、1世紀の弟子たちは多くの犠牲を払うことになったのです。70年、神殿は破壊し人々は離散を余儀なくされ、以後2000年の流浪の歴史を刻むのです。一方、異邦人教会は驚くほど成長して行きました。

かき裂かれた歴史
ミカエル・ブラウン博士が著した「教会が犯したユダヤ人迫害の真実」(原題:Blood」)によれば、十字軍によるユダヤ人大虐殺、教会が犯した反ユダヤ主義政策によって、おびただしいユダヤ人が殺戮されたとあります。スペインの異端尋問、ユダヤ人は火刑に処されシナゴグが焼かれました。強制的な改宗が行われたスペインやポルトガルでのマラノ、しかし彼らの多くは安息日や過越の祭を守り、その信仰から離れることはありませんでした。そしてホロコーストです。マルチン・ルターが反ユダヤ主義を創造し、置換神学が編み出され「かき裂かれた」悲劇の歴史が続いたのです。しかし時は過ぎ、私たちは切に主を知るべき時代にいるのです。これが第二のステップです。18年前、私はイスラエルに帰還し、イェシュアが生きたこの地で、ユダヤ人としてのライフスタイルを築いてきました。ユダヤ人としてのアイデンティティは、契約に関わる問題です。ロマ9:3でパウロは「肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。」と語りました。この証こそ、贖いの小羊の本質を語り、イスラエルが諸国民の光となる信仰の核心を示しているのです。

主に立ち帰る
ルカ19:38では「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。」と、高らかに主を賛美しています。この様に私たちが主を呼び求めるとき、イェシュアは再臨されるのです。これが第三のステップです。詩篇126:5、6には「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出てゆく者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくる。」とあります。そしてホセア3:4,5には、イスラエルの子らは帰って来て、主とその恵に向かって来ると預言しています。さあ、私たちは主に帰り「主の御名によってきたる者に、祝福あれ」と叫ぼうではありませんか。バルハバー・ベシェム・アドナイ!

  終末論・ロマ書11章から  ダニエル・ジャスター師
 

ロマ書11章を、神学的、聖書的視点から解説し終末論を語ります。終末論の神学とは、離散からの帰還とイスラエルと世界の贖い、イェシュアの再臨に関するものです。ロマ書11章は終末論を語る最も重要な聖書の一節です。まず11節で「救いが異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるため」とありますが、この聖句は25、26節の通り、イスラエルの救いを語りイェシュアによって成就されました。救いが異邦人にもたらされたのは、イスラエルを奮起させる為であり、異邦人は17−19節の通り、オリブの根の養分にあずかっているのです。従って「神の賜物と召しとは、変えられることがない」のです。この御言葉は、揺るぐことのない神の約束を語っています。ところがキリスト教会は、置換神学でこの事実を覆い隠し、イスラエルの召命という神の御心を歪めてきたのです。

教会とユダヤ人の使命
ユダヤ人の召しは、教会とのパートナーシップによって、世界の贖いのための器でなければなりません。私たちの使命は、世界の贖いの為にイェシュアの再臨を呼び求めることにあります。30−32節をご覧下さい。「神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めた」のです。1世紀の弟子たちは、イェシュアの福音を世界にもたらしましたが、その福音は今やイスラエルに帰り26節の御言葉は成就しているのです。これがロマ書11章で語られる終末論であり、今私たちは神の終末のプログラム全体の重要な役割を担っています。教会とユダヤ人は、この為のパートナーでなければなりません。私たちは神の御心を行う為に「恵みの選びによって残された者」(5節)だからです。

イェシュアの信仰に帰る
この召命を受け取ることは、私たちにとって非常に狭き門です。ユダヤ教とキリスト教は、私たちの存在そのものに敵対し、社会的、人種的、宗教的に迫害を続け、教育はアイデンティティそれ自体を破壊し、人種差別によってそれを見えなくさせているのです。だからこそ私たちは、イェシュアの信仰に帰り、私たちのアイデンティティをイェシュアに置かなければなりません。異邦人もユダヤ人も一人の新しい人のために召され、イェシュアこそ私たちの権威であり、真のラビであり、彼の贖いの血によって清められ、新しい契約に預かっているのです。私たちはヘブライ語で語り、祭を守り、大贖罪日を守り、イェシュアの信仰を受け継ぐメシアニック・ジューであることを理解しなければなりません。このコミュニティーに聖霊が注がれ、異邦人教会と一致して、再臨のイェシュアを祈る時代にいることを覚えて下さい。

 

人道支援、福祉活動で備えられたもの  アビシャロム・テクレハイマノット師

 

今年の聖会のテーマは「収穫の期は熟す」ですが、この時代に私たちが巡り合えたことを主に感謝します。さて収穫とは何を指し、私たちは何をしなければならないのでしょう。まず私たちは、心から栄光を主に帰さなければなりません。収穫とは、世代を越えてなされた執り成しに、主が応えて下さった恵みだからです。マルコ4:26−29を見て下さい。収穫をもたらす為には、人が畑に種を蒔くところから始まりますが、主が何をなされたから地はおのずから実を結ぶのでしょう。所が、人々はそれを知らないでいるのです。

世代を継いで与えられる収穫
私は、恵の天幕で第二世代にあたり、エイタン師やダン・ジャスター師は第一世代です。私たちはまさに、父と子のような関係で収穫を受け継いできました。さて、列王紀上8:17−18には、ダビデが主の名の為に宮を建てる計画があり、主はそのことを「結構である」と語られました。しかし19節で「あなたはその宮を建ててはならない。あなたの身から出るあなたの子がわたしの名のために宮を建てるであろう」と答えたのです。やがて主なる神が、大いなる御業をもってソロモンに神殿を与えたことは私たちの知るところです。この様に世代を継いで導かれる主の御心を、私たちは理解する必要があります。さて、ヨエル2:28には「老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。」とあります。この幻(ビジョン)は、今私たちに与えられています。夢は世代を継いで実現し、私たちは最後の収穫の時に立ち会っているのです。ところで、イェシュアは収穫のことをどの様に語ったでしょう。マタイ9:37で「収穫は多いが、働き人が少ない」と。私たちは来る収穫に向けて、主のビジョンを見る若者たちを見出さなければなりません。

収穫のための主の御業
私は、申命記15:10−11の教えに従って、恵の天幕で人道支援活動に携わり、多くの若者たちを育ててきました。若者を導くリーダーたちの教育、兵役に就いている若者、兵役を終えた若者への支援は、難しい時もありましたが、主の励ましによってビジョンが与えられ、次世代を担う若者たちが起こされてきました。これは私たちにとって、すばらしい収穫です。彼らには、文化や言語など様々な違いがありますが、信仰と情熱をもって聖地で若者を育てることは大変意義深いことです。私は今、若者たちに霊的祝福が与えられることを願っています。神は実にドラマティツクな働きをなされています。私はエチオピアから帰還しましたが、エチオピアのような貧しい国にとって、イスラエルは実に遠い国でした。多くの困難がありましたが、主は最後の収穫の為に人を起こし、イェシュアをもって霊的に祝福されたのです。今、人々は目の前に霊的収穫を見ています。恵の天幕における人道支援や市役所との福祉活動を通して、神の収穫を見てその祝福を味わっているのです。この収穫を皆様と共有したいと思います。恵み豊かな主に、心から感謝します。

  感謝の言葉  エイタン・シシコフ師
 

今回の聖会も、大変すばらしい集いとなりました。
150人近い人々が9日間を共に過ごし、聖地とイスラエルの人々、そしてイスラエルのビリーバーを知ることができたのです。私たちは神の御言葉を学び、祈り、礼拝し、固い絆で結ばれました。参加された皆様は、神のご計画、メシアの再臨に極めて大切なイスラエルと、聖地に興されたメシアニック・ジュー・コングリゲーションを心から知る為に来られたのです。この聖会の為に祈って下さった全ての皆様に、心から感謝を申し上げます。トダ!


*聖会に参加できなかった皆様に是非、下のリンクをクリックして、私たちが経験した一こまをご覧いただければと願っています。
http://picasaweb.google.com/tikkunrevivetents/HarvestIsRipe?authkey=Gv1sRgCMbljo7aztjhQg&feat=email#


阿部和博

 
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