Netivyah Bible Instruction Ministry

 ネティブヤ日本支部
HOMEへ


ネティブヤ本部
(イスラエル)

ネティブヤは、エルサレムにあるメシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)によるミニストリーです。
詳しくは、ネティブヤ日本支部ホームページをご覧下さい。

 Email Us

 日本語サイト提供
シオンとの架け橋

イスラエルに暮らして

リッティー・カッツ

私は「平和の都」エルサレムから来ました。(笑)私が最初にお断りしておきたいことがあります。

私は宣教師ではありません。私たちは現在、エルサレムとテルアビブの中間あたりにあるベテシメシという町に住んでいます。10年以上前、夫と2人の小さい子供と一緒にイスラエルに帰還しました。そのとき、私はお腹に子供がいました。私たちは、私たちに与えられたユダヤ人としての民族的遺産を受け継ぐために、イスラエルに帰還したのでした。私たちはそのように信じていました。ですから、私たちは宣教のためにイスラエルにやって来たわけではないのです。

私はまた、預言者でもありません。イスラエルの将来がどのようになるかわかりません。しかし、聖書の預言を見れば、イスラエルに明るい未来が開けています。それは預言者でない私にもわかります。

そしてまた、私は、何かの団体の代表として今、お話ししているわけではありません。これから申し上げることは、私の個人的意見です。また、私は政治的な意味でお話をするわけでもありません。私は、政治家ではありませんから。

では、私はどういう人間かと言いますと、まず、イェシュアを信じています。妻であり、母です。そして、ユダヤ人です。英語の教師をして働いています。私たちがイスラエルに帰還したのは、それが神の意志だと信じたからです。

ユダヤ人が約束の地に帰るのは神の意志ですが、それは決して楽なことではありません。昨夜、エイタン・シシコフ師が、砕かれることについてお話しになったと思います。私たちは確かに、砕かれる必要があります。しかし、アメリカからイスラエルに帰還してくれば、だれでも砕かれないといけない状況に置かれます。

私は多くの学位を持っていて、仕事の経験がありましたが、イスラエルにやって来ればただの人。新人として始めなければいけません。まず、言葉がしゃべれないのです。ユダヤ人たちに何か語るにしても、まず第一に言葉を覚えなければ一言も話せないのです。

私たち一家は、すばらしい家と仕事を捨ててイスラエルに帰還しました。私たちが定着するまでの間、コングリゲーションが新しいアパートを与えてくれました。

イスラエルに着いたその日、私は1歳7カ月の子供と3歳の子供と、そして、お腹の子供と一緒に町を歩いていました。その時は、昼下がりでしたが、だれもいませんでした。当時、アラブ人によるユダヤ人の殺傷事件が相次いでいたので、私たちはビクビクしていました。ところが、道を歩いていくと、前にアラブ人の青年がいるのです。私は大変恐ろしかったですが、「何か言わなければ」と思いました。そこで私は神に祈り、その青年に近づき、挨拶をしました。私が驚いた以上に、彼もまた驚いたようでした。

彼は19歳の青年でした。彼は幸いにも非常に英語が得意だったので、何とか会話をすることができたのです。話すうちに、彼は働いて家族を支えなければいけない状況にあることがわかりました。彼と私は友人になり、彼は子供を抱き上げてくれました。

そして私たちは別れを告げ、彼はダマスコ門にある自宅に帰り、私も自分のアパートに戻りました。それから10年たちますが、この回教徒の青年と私たちの友情はずっと続いています。

しかし、私たちの間には様々なことがありました。最初の出会いから4年後、彼は結婚しました。私たちはヘブロンに行き、彼の結婚式に出席しました。私たちは彼と家族同士の付き合いをし、彼には4人の子供が生まれました。

ところが、1994の2月、ヘブロンにあるマクペラの洞窟で、ユダヤ人過激派の青年が回教徒30人を虐殺する事件があり、その事件で彼の一族のうち9人が亡くなりました。彼は私たちとしばらく口を聞いてくれませんでした。しかし、私たちは彼と連絡をとり続け、これは神によってしかできない業ですが、彼は私たちにまた心を開いて話をしてくれるようになりました。

私たちがパレスチナ人と付き合っているという事が近所の人に知れると、みんなが「この人たちはパレスチナ人と関係を持っているから、この人たちを通じて彼らを助けられる」と言って、いろいろなものを届けてくれたのでした。

そして最近、私たちにまた彼から電話がありました。彼の一家はヘブロンにある、奥さんの実家に行こうとしていたのですが、その実家は、戦争で破壊されていたのでした。さらに、自治区が封鎖されていたので、彼は検問所で足止めを食い、どこにも行けない状態になっていたのでした。

そこで、私の夫のデービッドは、彼らが検問を通過できるように現場に行って交渉したのでした。非常に危険な状態でした。夫が現場に行きますと、そこには彼と奥さん、4人の子供がいました。ところが、現場の係官は書類がそろわないから通れないと言うのです。デービッドが話すと、現場の司令官がやって来ました。私の夫がどうしても通してくれと頑張ったので、司令官は遂に通してくれました。そして、彼らは家に帰ることができたのです。

デービッドが彼らを車に乗せてエルサレムに帰ってくる途中、彼らは車から降り、抱き合って友情を確かめ合いました。「君は本当の友人だ」と彼は言ってくれました。このように、アブラハムの子たちは、いつか平和に暮らせる日がくるでしょう。

私たちの敵は、パレスチナではありません。私たちの敵は、神の民に対して逆らおうとしている悪霊の力なのです。

さて、私たちがどのような暮らしをしているかということを、よく聞かれます。第一に、ここイスラエルにおいては、祈らなければ私たちはとてもやっていくことができません。私達の意志によって祈るというよりも、祈らされると言った方が良いでしょう。

最近、私たちのメンバーで、エチオピアからスーダンを経由して帰還した女性が、イスラエルで結婚することになりました。彼女は、イェシュアを信じたために家からも追い出されてしまったため、誰も家族は結婚を祝ってくれません。そこで、私たちがみんなで盛大にお祝いをしてあげることになりました。

私たちにとっても、このインティファーダの間は、とてもひどい2年間だったので、結婚式は思いっきり楽しもうということになりました。私たちはみんな、美容院に行っておめかしをし、着飾りました。ところが、家を出ようとした時、電話が掛かり、結婚式が行われる会場のすぐ近くで自爆テロがあり、多くの人が犠牲になったという知らせが入ってきたのです。私たちは、いろいろな知人に電話をし、みんなの安否を確認しました。そうこうしているうちに、喜びの気分はしぼんでしまいました。

結婚式に行く前にテロの現場で一緒に嘆き悲しみ、それから結婚式場に行って再び気分を切り替え、楽しく結婚を祝いました。泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ、というのが私たちのやり方なのです。エチオピアからやって来たカップルが結婚するというのは、メシアニックジューにとっては、とても大きな喜びですから、私たちは盛大なパーティーをして、その夜は大いに楽しみました。

私たちの暮らしは、このようなものです。神様がここに住めと命じておられるから、私たちはこの地にいるのです。最後に、私の好きな詩篇を引用させていただきます。

【都に上る歌】
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。(詩編121編 1〜3節)

リッティー・カッツさんは、ネティブヤ長老のデイビッド・カッツ氏の夫人です。以上の文は、2002年7月のUMJC大会(米国フロリダ)でのスピーチ「Women's role in Israel」から日本語に翻訳・整理したものです。
転載については、ネティブヤ日本支部までお問い合わせ下さい。

 


日本支部所在地
650-0027
神戸市中央区中町通2-2-18
平戸ビル4F シオンとの架け橋内
TEL:078-341-7501
FAX:078-341-7502

エルサレムの平和のために祈れ ・・・ わたしはシオンのために黙せず、エルサレムのために休まない ・・・