Netivyah Bible Instruction Ministry

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ネティブヤ本部
(イスラエル)

ネティブヤは、エルサレムにあるメシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)によるミニストリーです。
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シオンとの架け橋

ユダヤ人の帰還

ヨセフ・シュラム

聖書中で何度も何度も繰り返されている約束があります。創世記だけでも13回も繰り返されています。そうです。「カナンの地をアブラハムの子孫に与える」という約束です。この約束は、モーセの五書全体では20回も繰り返されています。神が人間に対して与えられた約束で、このように何度も繰り返されている約束はありません。神は約束に対する最も大きな妨害が、このカナンの地をめぐって起こるであろうということを、あらかじめ知っておられたのです。だからこのように何度も何度も約束を繰り返されたのです。

御言葉を信じ、イエスを信じるのなら、私たちは約束を信じなければいけません。もし、イスラエルに対して与えられた約束について、神の約束を信じることができないとするならば、ほかの約束も信じられません。もし、歴史的で現実的な問題についてなされた、このような明確な約束を、神がお守りにならないようなお方であるとするならば、どうして霊的な約束などを信じることができるでしょうか。アブラハムとその子孫とに対して何十回も約束された、この明確な約束がもし成就されないとするならば、死人の復活というような、さらに不可能に近い事柄が到底信じられるはずはありません。

120年前には、ユダヤ人たちが中東に帰って国をつくるなどということは、だれも信じていませんでした。120年前には、ユダヤ人たちはヨーロッパやアメリカ、アフリカ、ブラジル、中東などに離散していました。彼らは国を持っていませんでしたが、それらの土地で、ほぼ平和に暮らしていたのでした。街の中心部に住み、良い職業に就き、社会的な影響力を持っていて、楽に暮らしていたのです。金融の歴史をひもとけば、ユダヤ人たちが成功していたことがわかるでしょう。彼らは、離散の地で苦しんでいたわけではありませんでした。ロシアでもヨーロッパでも、シリアでも、イエメンでも。もちろん、時には迫害もありましたが、大体は良い暮らしをしていたのです。

イスラエル建国はユダヤ人たち自身から出た考えではなかったのです。ほとんどのユダヤ人たちは、シオニズム運動が始まっても、約束の地に戻りたいとは考えていなかったし、戻れるとも信じていなかったのです。ですから、ユダヤ人たちが約束の地に帰ったのはすべて神の御業なのです。ユダヤ人たちの意志ではなく、神の御心だったのです。神は、ほとんど無理矢理にユダヤ人たちを約束の地に導かれました。そのために、神はヨーロッパに迫害を起こされました。東ヨーロッパにおいて起こったポグロムや、ホロコーストなどは、ユダヤ人たちを約束の地に無理矢理に戻すための、神の御業だったのです。

エゼキエルの預言と約束の地への帰還

さて、神は約束の地にユダヤ人たちを戻すと約束しておられますが、それは、彼らが神を信じ、イエスを信じ、クリスチャンになったからではないのです。彼らが正しいからではなく、イエスを信じたからでもなく、神が約束なさったからユダヤ人たちを約束の地に呼び戻されるのです。この問題に関して述べている聖書の預言があります。エゼキエル書36章22〜23節を読んでみましょう。

それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。

この箇所において、ユダヤ人たちの状態はどうでしょう。それは22節に書かれてあります。「私の名をすべての国々の中で汚した」という、それが約束の民の状態だったのです。彼らはもちろんビリーバーではありませんでした。彼らはもちろん、神の子を信じたわけではありません。キリスト教にも改宗していません。彼らは諸国民の間で神の御名を汚し続けているのです。神は、彼らが清いから約束の地に導かれるわけではありません。神は御自身の御名のためにユダヤ人たちを約束の地に戻されるのです。そして、諸国民たちは神ご自身を知るようになるのです。

神の御言葉から、なぜユダヤ人たちが約束の地に呼び戻されるのか、その理由がわかります。それは、エゼキエル書36章24〜26節で、はっきりと記されています。

わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。

ユダヤ人たちを約束の地に呼び戻すのは、彼らを清めるためなのです。罪と偶像礼拝からユダヤ人たちを清めるのです。そこで、彼らに新しい心を与えます。新しい霊を与えるのです。そして彼らは本心に立ち返ることができるのです。

この聖書の約束の中には、人々が完全に清められてクリスチャンにならなければ成就しないという要素は一つもありません。神が私を救われたとき、私は罪人でした。皆さんもきっとそうだと思います。先に清くならなければ、イエスの血が与えられない、などということは決してありません。完全にならなければ救われないというなら、私たちは決して救われることはないでしょう。

この預言によれば、偶像や罪から清められ、石の心が取り除かれ、肉の心が与えられるのは、どこで起るのでしょう。その事柄すべてはイスラエルにおいて起こるのです。決して離散の地で起こるのではありません。27〜28節の預言の続きを読んでみましょう。

また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。

この土地を与えたのは誰でしょうか。神が与えられたのです。誰が新しい霊を与えられるのでしょう。それも神です。彼らに律法を行わせるのも、神の御業です。これらすべてのことにおいて、人々はまったく受動的にその御業を受け入れるだけです。神だけが働いておられるのです。神ご自身が働いておられるのです。神ご自身が一方的に新しい心を与えられるのであって、教会に来たら新しい心が与えられるというのではありません。神は、単に神のご意志によって聖霊を与えると言っておられるのです。

エゼキエル書39章の預言から

次の章、さらにその後の章にも神の御霊はそのことを繰り返しておられます。言葉は違いますが、メッセージは同じです。エゼキエル書39章22〜23節を開けてみましょう。私がここを引用するのは、このメッセージが、36章だけに書かれた特殊なメッセージではなく、何度も繰り返されていることを指摘しておきたいからです。神は、エレミヤ、イザヤ、ミカ、アモス、そして聖書全体で何度も繰り返し同じ事を約束しておられるのです。

その日から後、イスラエルの家はわたしが彼らの神、主であることを知るようになる。国々は、イスラエルの家がわたしに不信の行為を行ったために捕囚となったこと、また、わたしが顔を隠し、彼らを敵の手に渡したため、彼らは皆、剣に倒れたことを知るようになる。

まったくその通りです。ユダヤ人としては認めにくい御言葉ですが、離散というのは神の罰だったのです。離散は祝福ではありません。離散の地でユダヤ人たちが神の福音を受け入れるのは非常に難しいのです。だいたい、離散の地でユダヤ人が一般のキリスト教に改宗すると、大変困った問題が起こるのです。そういうユダヤ人のことについてお話ししますと、だいたい二世代たちますと自分たちの家系がユダヤ人であったということすら忘れてしまうのです。彼らはユダヤ人であるという生活をやめてしまうのです。そして彼らは自分達がユダヤ人であるということすら認めなくなります。

個人的レベルは別として、民族的レベルで離散の地においてユダヤ人たちが神を認めることはありません。そういう預言も約束もないからです。神がご自身をユダヤ人に対して現わされるのは、約束の地においてなのです。この次の24〜25節を読んでみましょう。

わたしは、彼らの汚れと罪に応じて行い、わたしの顔を隠した。
それゆえ、主なる神はこう言われる。今やわたしはヤコブの繁栄を回復し、イスラエルの全家をわが聖なる名のゆえに熱い思いをもって憐れむ。

ヘブライ語で読むと、ここには非常に面白い表現が使われています。ここの預言者の言葉は「掛け言葉」になっているのです。ここにある「回復」という言葉は「悔い改め」という言葉と同じです。ですから、現実的に約束の地に回復し、その次に神の所にも霊的に戻ってくるのです。このことにあずかるのはユダヤ人のうちどれだけでしょうか。10%でしょうか、20%でしょうか。ここには、はっきりと書いてあります。イスラエルの全家です。新約聖書にも、それがはっきりと書かれています。「イスラエルはすべて救われるであろう」と、ローマの信徒への手紙11章26節に書いてありますね。話をエゼキエル書に戻し、39章26節を見てみましょう。

彼らは自分の土地に安らかに住み、脅かす者がいなくなるとき、わたしに背いた恥とすべての不信の罪の責めを担う。

この時になって初めて、彼らはその罪を認め、悔い改めるのです。約束の地に「脅かす者がいなく」なり安全に彼らが住む、その時に悔い改めが起こるのです。彼らは離散の地で悔い改めるのではなく、イスラエルの地において悔い改めるのです。しかも、安全に、「脅かす者」がいなくなったときに悔い改めるのです。現在のイスラエル情勢を見るとき、この「脅かす者がいなくなるとき」という御言葉は大変重要な意味を持っています。27節をご覧ください。

わたしが彼らを諸国の民の中から帰らせ、敵の地から集めるとき、わたしは国々の前で、彼らを通して自分の聖なることを示す。

このメッセージは36章に書かれているのと同じ内容です。諸国から、敵の地から約束の地に帰らせて、それから神は彼らを清められるのです。これは私が書いたのでもなく、テオドール・ヘルツルが書いたのでもありません。これは神の御言葉です。誰が何と言おうと、私は聖霊がここに書いておられる御言葉を信じます。私は38年間、毎日毎日、ユダヤ人に対して福音を宣べ伝えてきました。イスラエル全土に対して、イェシュアが彼らのメシアであるということをヘブライ語で放送しています。神を喜ばせるためには、プロテスタントにもカトリックにもなる必要がないということを、私は宣べ伝えているのです。そして、28〜29節に話を進めましょう。

わたしは彼らを国々に捕囚として送ったが、自分の土地に集めて、もはや、かの地には残さない。そのとき、彼らはわたしが彼らの神、主であることを知るようになる。わたしは二度とわが顔を彼らに隠すことなく、わが霊をイスラエルの家に注ぐ」と主なる神は言われる。

ここには「かの地には残さない」と書いてありますが、このことが起こることを私は願っています。そして、この御言葉は必ず成就します。私はこのことを信じています。ですから、正統派のユダヤ人たちがやって来て私を殺そうとしても別に気にはしていません。私は、迫害を受ければ受けるほど、神から火が与えられるのです。反対者が多ければ多いほど、エルサレムにおける宣教は進むのです。多くの若い人々が神のところに導かれます。私たちは、スープ・キッチンによって彼らに現実的な食物を与え、そして宣教放送を通して霊的な食物を与えているのです。これはすべて神の御心に従ってやっているのです。私たちのやっていることが本当にイスラエルのためになるのです。離散のユダヤ人たちが預言の通りにイスラエルの地に帰ってくるまで、私たちはイスラエルで頑張るつもりです。なぜなら、神によって私たちはそこに置かれているからです。

日本にいる人々が、ユダヤ人のためにできること

日本や世界各国におられる方で、約束の地における主の御業に参加したいと思われる方がいらっしゃるなら、まずユダヤ人たちが約束の地に帰って来る事を支援してください。なぜなら、そうすると次の段階は救い主がユダヤ人たちに示されることになるからです。そして、イスラエルの地でユダヤ人たちがユダヤ人自身の言葉によって、ユダヤ人の救い主をユダヤ人に伝えなければなりません。この働きを支援してください。これが私たちの時に与えられた奥義です。もし、私たちが苦難を耐え忍んでこのことを行い続けるとするならば、犠牲を払っても働くなら、その事柄はきっと成就するでしょう。私たちはそれを待ち望んでいます。これは必ず起ります。神は約束を守られる方だからです。
さらに、すでに約束の地にいるユダヤ人たちに対しては、三つの面からの祈りをお願いしたいと思います。

第一に、イスラエル全体のためにお祈りいただきたいのです。イスラエルが平和の道を見つけることができますように。パレスチナとの平和ということだけではありません。イスラエルの人々の間での平和においてもです。ガラテヤの信徒への手紙5章19〜20節を読めば、分裂は悪魔の業だということがわかります。悪魔の戦略は、ありとあらゆる方法でユダヤ人たちを仲間割れさせることです。イスラエルは今、サタンの働きによってズタズタにされてしまっています。正統派と世俗派の戦いがあり、キブツの人と街の人との争いがあります。アシュケナジと、セファラディの間の争いがあります。イスラエル全体の平和のためにお祈り下さい。そして、この国が少しはまともな国になりますように。

第二に、イスラエルの宗教指導者のためにお祈り下さい。私たちには、すばらしいラビたちがいます。彼らは大変深い知識を持っています。しかし、彼らは心をイェシュアに対して開く必要があります。キリスト教に対して心を開くのではありません。イェシュアに対して心を開いてほしいのです。キリスト教が今までにやってきた数々のユダヤ人たちに対する残虐行為を、彼らがイェシュアと切り離して理解するためには、神の働きが必要です。

第三に、イスラエルにいるビリーバーのために祈ってください。彼らの中には今、多くの分裂が起こっています。それは日本の教会にも、世界の教会にもある問題と同じです。私たちイスラエルのビリーバーは、さまざまなキリスト教の宣教団によって作り上げられました。ですから、その分裂も一緒に私たちは輸入してしまったのです。キリスト教のさまざまな問題が、キリスト教と一緒に輸入されてしまいました。このことを癒すことができるのは、神ご自身であり、聖霊の癒しだけです。私たちは自分の手でできることまで、皆さんにお祈りをお願いするつもりはありません。むしろ、神だけにしかできない種類の事柄について、皆さんにお祈りいただきたいのです。皆さんが、昼となく夜となく神の戸を叩き続ければ、必ず神は聞いてくださいます。どうかこの約束の地のユダヤ人ビリーバーたちがひとつになって働くことができるように祈ってください。皆さんの献金にもまして、この祈りがきっと私たちの役に立つでしょう。

皆様の祈りは私たちの大きな励ましです。どうぞ、祈り続けて下さい!

2001年セミナーより


 


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エルサレムの平和のために祈れ ・・・ わたしはシオンのために黙せず、エルサレムのために休まない ・・・