Netivyah Bible Instruction Ministry

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ネティブヤ本部
(イスラエル)

ネティブヤは、エルサレムにあるメシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)によるミニストリーです。
詳しくは、ネティブヤ日本支部ホームページをご覧下さい。

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シオンとの架け橋

ホロコーストを生きて

イェフディット・バルコフバ
ホロコースト生存者
ネティブヤメンバー

 私が娘時代に体験したホロコーストのこと、また、その時の両親や家族(兄弟と姉妹)の体験についてお話したいと思います。
 第二次世界大戦が終わって11年経った頃の事から、お話を始めたいと思います。大戦後、私は完全に異邦人のような暮らしをしていました。宗教のことは何も知りませんでした。それでも、私がユダヤ人であるということは知っていましたが、それは人には言わない方が良いと思っていました。ユダヤ人は、人々からあまり良く思われていなかったからです。その時の私にとって、ユダヤ人であることは、何も誇りにすることではありませんでした。
初めて聖書にふれる
 しかし、私が成長して22歳になった時、聖書に興味を持って読み始めました。それはもちろん、母国語のオランダ語の聖書でした。私は創世記から読み始めて、申命記の28章15節まで進んで来ました。そこには、こう書かれていました。

しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。
 この後、16〜44節まで、恐ろしい呪いの言葉が並べられています。そしてさらに、45節以降、聖書の言葉は次のように続いていました。

これらの呪いは、ことごとくあなたに臨み、付きまとい、実現して、ついにあなたを滅びに至らせる。あなたの神、主の御声に聞き従わず、命じられた戒めと掟とを守らなかったからである。これらのことは、あなたとあなたの子孫に対していつまでもしるしとなり、警告となるであろう。あなたが、すべてに豊かでありながら、心からの喜びと幸せに溢れてあなたの神、主に仕えないので、あなたは主の差し向けられる敵に仕え、飢えと渇きに悩まされ、裸にされて、すべてに事欠くようになる。敵はあなたに鉄の首枷をはめ、ついに滅びに至らせる。主は遠く地の果てから一つの国民を、その言葉を聞いたこともない国民を、鷲が飛びかかるようにあなたに差し向けられる。その民は尊大で、老人を顧みず、幼い子を憐れまず、家畜の産むものや土地の実りを食い尽くし、ついにあなたは死に絶える。あなたのために穀物も新しいぶどう酒もオリーブ油も、牛の子も羊の子も、何一つ残さず、ついにあなたを滅ぼす。彼らはすべての町であなたを攻め囲み、あなたが全土に築いて頼みとしてきた高くて堅固な城壁をついには崩してしまう。・・・・もし、この書に記されているこの律法の言葉をすべて忠実に守らず、この尊く畏るべき御名、あなたの神、主を畏れないならば、・・・主は地の果てから果てに至るまで、すべての民の間にあなたを散らされる。あなたも先祖も知らなかった、木や石で造られた他の神々に仕えるようになり、・・・これら諸国民の間にあって一息つくことも、足の裏を休めることもできない。・・・・あなたは心に恐怖を抱き、その有様を目の当たりにして、朝には、「夕になればよいのに」と願い、夕には、「朝になればよいのに」と願う。 「あなたは二度と見ることはない」とかつてわたしが言った道を通って、主はあなたを船でエジプトに送り返される。(45-68節より抜粋)
 初めてオランダ語でここを読んだ時はわかりませんでしたが、ヘブライ語でここを読むと最後の言葉の意味がわかります。「エジプト」という言葉はヘブライ語では「ミツライーム」つまり、災いの複数形になるからです。「多くの災いに送り返す」とは、何と恐ろしい言葉でしょうか。
 この申命記28章を読んだ時、私は自分に言いました。「これこそ、私の両親と祖父母、叔父さん、叔母さん、そして全ての家族に起こった事だわ。」それは、恐るべき真実でした。何千年も前に書かれた聖書の言葉と、わずか十数年前に私自身と家族、そして私たちの民族の上に起こった事件とが関係しているとは、これらの言葉を読むまでは全く思っても見なかったのでした。これは私にとっては衝撃的な事実でした。

■約束の地へ

 そして私はオランダ語の聖書を読み続けました。本当に必死になって、むさぼるように読みました。少しでも時間があれば、ひとりになって聖書に読み耽りました。そして、エゼキエル書36章24節まで来ると、さらに驚くべきことが書いてあったのでした。

わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。
           ・・・中略・・・
わたしがこれを行うのは、お前たちのためではないことを知れ、と主なる神は言われる。イスラエルの家よ、恥じるがよい。自分の歩みを恥ずかしく思え。主なる神はこう言われる。わたしがお前たちをすべての罪から清める日に、わたしは町々に人を住まわせ、廃虚を建て直す。荒れ果てた地、そこを通るすべての人に荒れ地と見えていた土地が耕されるようになる。そのとき人々は、『荒れ果てていたこの土地がエデンの園のようになった。荒れ果て破壊されて廃虚となった町々が、城壁のある人の住む町になった』と言う。お前たちの周囲に残された国々も、主であるわたしがこの破壊された所を建て直し、荒れ果てていたところに植物を植えたことを知るようになる。主であるわたしが、これを語り、これを行う。(24-28、32-36節)

 これらの御言葉を読んだ時、私は確信しました。御言葉の通りに私たちを呪われたその同じ神は、私たちユダヤ人を父祖たちの地に連れ戻し、その地において祝福されるのです。そして、人々が「荒れ果てていたこの土地がエデンの園のように」なると言うのです。
 その時に私の心は決まりました。その土地こそ、私の約束の地なのです。そして私は、自分がどこへ行くのかわかりました。その約束の地、イスラエルに行って、同じユダヤ人と結婚して、主が最初に与えて下さる息子に預言者エゼキエルと同じ名前をつけるということが、私にははっきりと見えたのです。
 そして全ての事がその通りに運び、私の息子のエゼキエルがエルサレムで生まれたのは、今から40年前のことでした。

■ドイツ占領下のオランダ

 さて、戦争前のオランダに話を戻しましょう。1940年5月10日、ドイツはオランダに侵攻しました。オランダ軍は数日間戦いましたが、結局は敗退し、ドイツ軍が反ユダヤ的な政権を樹立しました。オランダの国王一家は英国に退避しました。オランダ国会の議員は全て、反ユダヤ的なヒトラーやナチスの賛同者に入れ替えられてしまいました。
 ドイツ人たちは非常に組織的です。オランダにも親ナチスのNSBという国家社会主義政党が作られ、オランダの様々な社会階層から党員が集められました。
 しばらくすると、ユダヤ人たちは黄色いダビデの星を身につけることが義務付けられました。全ユダヤ人は生まれて間もない赤ん坊から死の床にある年寄りまで、ダビデの星を胸の心臓の上に付けることになりました。この反ユダヤ的な新しいドイツ法に従わない者は全て死刑になりました。
 そしてまた新しい法律が出来ました。ユダヤ人たちは1日に1時間しか買い物をしてはいけないことになったのです。ユダヤ人の家庭が近所のオランダ人の女性から助けを受けることも禁止になりました。母は4人の子供がありながら、結核で寝たきりでしたので、とても家事が出来ず、それまで何年も異邦人の女性が来て家事を手伝ってくれていました。そこでこの法律が出来た後、彼女は朝早く日の出の前に私たちの家に来て、日没後に帰るようにして世話を続けてくれました。ユダヤ人の家に出入りしていることが人に知られないようにしたのです。彼女は命をかけて私たちのために奉仕してくれたので、1986年に彼女はホロコースト博物館(ヤッド・バシェム)から感謝の表彰を受けました。
 そしてまた、新たなドイツの法律が出来ました。ユダヤ人の子供は公立学校に行けなくなったのです。そこで私たちはシナゴグの横に作られたユダヤ人学校に行くようになりました。こうしてドイツ人たちはユダヤ人たちを異邦人と完全に分離することに成功し、次に夜中に兵士がユダヤ人の家を襲撃して、寝ている人々を駅に引き立て、オランダのウェスターボルクという収容所に連れて行ったのでした。老人たちも、乳飲み子をかかえた女たちもです。それは、申命記28章49〜50節に書かれた通りでした。
主は遠く地の果てから一つの国民を、その言葉を聞いたこともない国民を、鷲が飛びかかるようにあなたに差し向けられる。その民は尊大で、老人を顧みず、幼い子を憐れまず・・・
 ですから、毎朝学校に行くと、夜に誰かが捕えられて強制収容所に送られていなくなっているのでした。そして、彼らの家の前にはドイツ兵が周囲を見張っていて、その間に他の兵士が家の中から金目のものを全て略奪しているのでした。そうして、毎日毎日、生徒も先生も少しずつ姿を消して行きました。これは恐怖の体験でした。戦争の後、この学校の生徒で生存していたのはわずか3家族の子供だけだったのです。
 その頃、私は7歳で小学校2年生でした。そこで、両親は一家で素性を隠して逃亡生活する計画を進めることにしました。一家というのは、病気の母と、父と男女それぞれ2人の子供、合計6人でした。

■逃亡生活へ

 ある夜、両親は私たちに「今夜、家を出て全員が逃亡する」と宣言しました。私は大変なショックを受けました。もう家族と会えなくなると思ったからです。その夜、私と11歳の姉を遠い場所まで連れて行くために、非ユダヤ人だった英国人の叔母が私達の家に迎えに来ました。
 ユダヤ人は鉄道で旅行することが禁じられていたので、私達はユダヤ人であることが発覚しないように荷物を持たずに列車に乗りました。疑われないように衣服を持って行くために、上着も下着も2枚ずつ着て列車に乗ったのを覚えています。
 長い間、列車に乗ったので、時間をもてあました叔母は、私たちとゲームを始めました。「Aで始まる単語は?」と聞かれると、私達が「アップル」と答えるという単純な遊びでした。そして、B、C、Dと順にZまで来ると、私は飛び上がって「シオニスト団体!」(Zionist Organization)と言いました。叔母はユダヤ人であることが発覚すると思い、恐怖で気絶しそうになり、英語風に「ユディト!」と叫びました。私たちの周囲にいた乗客たちは、じっと私たちの会話を聞いていたので、この会話から私達がユダヤ人だと悟ったようでしたが、それでも神に感謝すべき事に彼らは誰も私たちを裏切らなかったのです。
 深夜になって、私達は隠れ住むことになった町に到着しました。駅を出ると、暗く静かな道があり、初めて見る私たちの「両親」になってくれる人々が待っていました。その横にはよく知っている叔父がいたので、とてもうれしくなりました。しかし、叔父がダビデの星を付けていなかったので「叔父さん、ダビデの星は?」と聞きました。すると叔父は笑って「お前のダビデの星はどこにあるの?」と聞き返しました。私が自分の服の胸を見ると、そこにはダビデの星はありませんでした。そこで私は、これから違った生活が始まるのだということを初めて理解したのでした。

■家族の運命

 さて、5歳の弟は見知らぬ男性に連れられてアムステルダムに行きました。彼らは隠れる約束が出来ていた家に行ったのです。その男性は、安全を確認するために、弟に花束を渡して言いました。「この花束を持ってあの家に行って『花はいかがですか』と言うんだ。もし『いいえ、けっこうです』と言われたら、危険だから入っちゃいけない。『花を下さい』と言われたら、安全だから入ってもいいよ。」たった5歳の子供が、見知らぬ人と見知らぬ町に行き、安全かどうかわからない人の所に行くというのが、どんなに心細いことか、想像してみて下さい。
 さて、病気の母は病院で一晩だけ泊めてもらうことが出来ました。その医師は友人だったので、静かな町に姉と二人で暮らしている看護婦の所に置いてもらえるように取り計らってくれました。母はそこで2年後に亡くなったそうです。しかし、遺体を墓地に葬る事が出来ず、彼女たちは庭を掘って遺体を埋めました。戦争後、彼女の遺体はユダヤ人墓地に移されました。
 一方、父は母のいた場所からそう遠くない所の民家にかくまってもらいました。そして兄は、さらに別の町の家にかくまってもらいました。11月のある日、14歳の誕生日を迎えた兄と父は母親を訪ねる計画を立てていました。ちょうどその時、ドイツ兵たちがラジオを探しにその家に捜索にやって来ました。ラジオでBBCなどの外国放送を聞くことは禁じられていたので、ドイツ兵はラジオを探しに来たのですが、隠れ家の主婦はユダヤ人を探しに来たと勘違いして「私はユダヤ人なんか匿っていません」と叫びました。しかしドイツ兵たちはその言葉を信じず、家にずっと居座り、そこへ帰って来た父と兄を逮捕したのでした。兵士たちは、つかまえたユダヤ人の留置場となっていたアムステルダムの劇場に父と兄を連行し、そこから彼らは列車でオランダの東にある強制収容所に送られました。
 その列車は橋を通過する時に減速することを父は知っていたので、父は兄に減速した時に飛び降りるように言いました。もちろん、ドイツ人たちもそこでユダヤ人たちが脱走する事は知っていました。そこで、彼らは逃げるものを撃とうと待ち構えていたのでした。父は肩を撃たれたのですが、それを兄に言えば、兄は逃げるのを断念すると考え「電車に帽子を忘れたから取りに行く」と言い捨てて、列車に戻りました。そして兄は小さな犬小屋に身を隠し、暗くなるまでじっとしていました。そして、線路と川の間の細い道を歩き始めたのでした。ところがそこに、2人のドイツ兵が自転車に乗ってやって来たのです。彼らの自転車にはライトがついていました。そこで、11月で水は凍てつくような冷たさだったのですが、兄はやむなく川に飛び込み、兵士から隠れたのでした。幸いにも兵士たちは兄に気付かず通り過ぎたので、兄は川から上がったのですが、全身が濡れて凍えてしまいました。
 線路の近くに兵士の詰所があったので、兄はそこに入らざるを得ませんでした。中には6人の衛兵がストーブの周りで暖を取っていました。もちろん、彼らは兄がユダヤ人だということを知っていましたが、彼らは兄を歓迎してストーブの近くで服を乾かしてくれました。そして服が乾いて体が温まるとそのまま逃がしてくれたのです。彼らは信用できるオランダ人でした。そして、兄は父が教えてくれた場所にまで辿りつくことが出来ました。父はアウシュビッツに送られたので、もう生き延びる可能性はありませんでした。彼はひと月も経たないうちに殺されてしまいました。
 そして戦争が終わり、生き延びた祖母は孤児になった娘の4人の子供を一箇所に集め、一緒に育てる決心をしました。彼女は私たち4人を自分の家に引き取り、全員が結婚して家を出るまで、みんなが教育を受けられるようにしたのです。そして彼女は長生きし、曾孫まで見ることが出来ました。
 1968年、姉と私をかくまってくれた夫婦はイスラエルに来て、私と家族に再会しました。彼らはヤッド・バシェムからメダルを授与されました。それには、このような言葉が刻まれていました。「一人の人間の魂を救うものは、全世界を救うもののようである。」
 最後にイザヤ書のこの言葉で私の話を終えたいと思います。

慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と。
         (イザヤ書40章1〜2節)



■訳者から一言

 「ユダヤ人が悪かったから虐殺されたのであり、クリスチャンは神の御心によって迫害を行ったのである。だから、クリスチャンは正しかった。」という趣旨でこの証言が利用されないようにと願っています。
 神が不信仰なユダヤ人を裁かれるのに異邦人を使われた場合、その異邦人に正義があるわけではないことに注意が必要です。ユダヤ人を処罰するために用いられた異邦人も、悔い改めなければ後で神から厳しい裁きを受けるのです。
兄弟が不幸に見舞われる日に/お前は眺めていてはならない。ユダの人々の滅びの日に/お前は喜んではならない。・・・主の日は、すべての国に近づいている。お前がしたように、お前にもされる。
(オバデヤ書12,15節より)
 ところで、UMJC大会会場では、この証言の後で「どうやって新約聖書を信じたのですか」との質問がありました。彼女の答えはこうでした。「旧新約を続けて読みましたが、それらが一連の神の言葉であることは、あまりにも明白で、疑いの余地がありませんでした。」



 


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エルサレムの平和のために祈れ ・・・ わたしはシオンのために黙せず、エルサレムのために休まない ・・・