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カディマ
2005年11月にアリエル・シャロンが設立した中道政党。シャロン氏は設立後にすぐ急病となったが、選挙で29人の議員を確保し政権を獲得した。一方的分離政策を実行したことで知られる。2013年の総選挙では議席数が2になるまで弱体化、2015年の総選挙には参加しないことを決定し現在は正式な解散発表はされていないものの、事実上消滅状態となっている。
オルマート
(オルメルト)Ehud Olmert エルサレム市長からリクード議員を経てカディマに入り、シャロン氏の後を継いで首相となった。第二次レバノン戦争、2008年末からのガザ侵攻作戦を指揮した。汚職事件で2008年夏に辞任し、2015年に有罪が確定し2016年2月から18年の禁固刑に処され初めての首相経験者として収監されている。リクード
Likud 保守的右派政党で1970年代後半から今日までほぼ与党として活動している。入植地建設を推進するなど、タカ派色が強い。宗教色は無い世俗政党だが右派というスタンスから宗教層からの支持も高く、その結果宗教色も多分にある。シャロン氏が2005年に離党しカディマ党を設立したが、現在は勢力を回復し第1党になっている。リブニ
ツィッピ・リブニ 2006年から3年間外相を務めた。2008年9月にモファズ氏を破りカディマの党首となったが、連立政権の構築に失敗した。2012年には再び党首選でモファズ氏と争い今回は敗北、政界を引退。しかし半年後に自らの新党トゥヌア(運動)とともに政界復帰し、現在は労働党と統一会派「シオニスト連合」を構成している。
【年表】
2005年 シャロン首相がリクード党首を辞任し、新党カディマを中道寄りのリクード党議員と結成。(11・21)
2006年 シャロン首相が脳梗塞で倒れ昏睡状態に陥る。代わってエフード・オルメルト(オルマート)がカディマ党の実権を握る。(1.4)
2006年 イスラエル総選挙が行われシャロン氏から引き継いオルメルト党首率いる新党カディマが29議席を確保し勝利。リクードはカディマ結成の打撃を受け26議席減となった。(3.28)
2008年 カディマ党首にツィッピ・リブニが選出される。ゴルダ・メイヤ以来の女性首相誕生との期待が高まる。(9.17)
2008年 カディマ党首を辞任したオルメルト(オルマート)首相がペレス大統領に辞表を提出。(9.21)
2009年 イスラエル総選挙が行われカディマが28議席と第1党を死守するも、右派政党が過半数の計65議席を獲得。(2.20)
2012年 超正統派の若者に兵役を義務付けるための特別委員会の閉会をネタニヤフ首相が決定し、この結果を受けカディマが連立政権を脱退する。(7.17)
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