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バラク

(エフド・バラク)Ehud Barak 参謀総長という軍のキャリアから政界入りし1999年の総選挙で首相になった。2007年には労働党首となって入閣し国防相に。2011年に労働党を離党し新党「独立」を発足したが1年後に政界引退を表明した。

ムバラク大統領
元エジプト大統領。80年代からの30年にも渡る長期政権が2011年のエジプト革命で終焉、2016年現在公金横領罪で禁固3年の判決が決定したが、その他のやり直し裁判は未だ続いている。
キャンプ・デービッド
Camp David アメリカ大統領専用の別荘。1978年、米・イスラエル・エジプトがここで和平に合意し、シナイ半島返還が実現した。(キャンプデービッド合意) また2000年7月にはバラク首相とアラファト議長がクリントン大統領の仲介で和平協議を行ったが、アラファト議長は合意を拒否。武装蜂起の準備を開始した。
シャルム合意
(シャーム合意) 1999年9月にエジプトでなされた合意。バラク首相とアラファト議長、オルブライト国務長官、ムバラク大統領らがが出席して調印式が行われた。ネタニヤフ政権下で全く進展しなかったワイ合意を実施するための合意で「新ワイ合意」とも言われる。3回に分けて撤退を行うことなどが決まった。
労働党
Labor Party 社会主義政党で立党以来長きに渡って第1党を守り、70年代後半からのリクード台頭後も第1党を争ってきている。故ゴルダ・メール、ラビン首相、バラクペレスの各氏などが主要な指導者。2015年の総選挙以降はツィッピ・リブニの新党との統一会派「シオニスト連合」として活動している。現党首はイツハク・ヘルツォグ。

【年表】

1999年 エフド・バラクが「1つのイスラエル」を率い総選挙に勝利、自身も首相に就任する(5月)

2000年 エフド・バラク首相により南レバノンからイスラエル国防軍が撤退(5.24)

2000年 バラク首相とアラファト議長がクリントン大統領の仲介で和平協議を行ったが、アラファト議長は合意を拒否。武装蜂起の準備を開始した。(7月)

2001年 労働党エフド・バラク(現職)とリクード党アリエル・シャロンの2人による首相選が行われアリエル・シャロン氏が勝利、第11代首相に。(2.6)

2011年 労働党党首で元首相のエフド・バラクが新党「独立」を結成。(1.17)




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