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ラファ

ラフィア Rafiah ガザ南端にある町。エジプトとガザを結ぶ検問所がある。エジプトに通じる地下トンネルが数多くあり、食料などの必需品や武器を密輸している。

17軍
Force 17 フォース17 アラファト議長の親衛隊とも言われる軍事勢力で、2000年からのアルアクサ・インティファーダで大きな役割を演じた。アラファト死後2006年に解体され、パレスチナ治安部隊に吸収された。
PLO
パレスチナ解放機構。当初はアラブ諸国が結成したが、後にアラファト議長によりパレスチナ人主体の組織となり、現在の自治政府を組織している。
アイアンドーム Iron
Dome 国防軍ラファエル社が共同開発した、ロケット弾・迫撃砲などに対する短距離弾に長けた防空システム。2011年にガザからの砲撃への対抗策として配備された。ハマス側が使用する砲撃弾の性能が比較的低いため、迎撃率は9割近くと高い成功率を誇っており、北朝鮮との緊張関係が続く韓国も購入を検討するなど世界的に注目を浴びている。
アッバス
Mohammad Abbas 2003年、自治政府の首相に指名されたファタハの有力者。モハメド・アッバース、あるいはアブ・マゼンという名前もある。アラファト議長の後継者として自治政府を指導。
アラファト
Yassir Arafat ヤッサー・アラファト ヤセル・アラファト アラファート PLO議長。パレスチナの最高指導者だったが、2004年11月に病死したが、今でも信奉者は多い。
キャンプ・デービッド
Camp David アメリカ大統領専用の別荘。1978年、米・イスラエル・エジプトがここで和平に合意し、シナイ半島返還が実現した。(キャンプデービッド合意) また2000年7月にはバラク首相とアラファト議長がクリントン大統領の仲介で和平協議を行ったが、アラファト議長は合意を拒否。武装蜂起の準備を開始した。
シャルム合意
(シャーム合意) 1999年9月にエジプトでなされた合意。バラク首相とアラファト議長、オルブライト国務長官、ムバラク大統領らがが出席して調印式が行われた。ネタニヤフ政権下で全く進展しなかったワイ合意を実施するための合意で「新ワイ合意」とも言われる。3回に分けて撤退を行うことなどが決まった。
ジュネーブ合意
2003年12月に野党議員らが中心になってパレスチナ自治政府の関係者とまとめた和平案。シャロン首相が激しく反発し、アラファト議長も明確に支持なかったため、実施には至っていない。捕虜の扱いなど交戦規定を定めたジュネーブ条約(ジュネーブ協定)とは別物。
バルグティー
Marwan Barghouti ファタハ指導者で元々は穏健派としてアラファト議長と対立関係にあった。しかし第2次インティファーダで中心的な指揮官となり、イスラエルに対する数々のテロを指揮し過激派となった。2002年4月に逮捕されイスラエルの裁判で終身刑の判決を受け現在収監中。穏健派だった過去からバルグティーパレスチナの重要な交渉相手として、釈放するべきだという声もイスラエル左派内には根強くある。そのためバグルティーと親交のあるユダヤ系大物政治家も多い。
ファタハ
Fatah イスラム過激派で、パレスチナ解放機構(PLO)の中心的グループ。オスロ合意を受け入れ、イスラエルとの共存を目指す路線を選択した。指導者のアラファト議長の死後、アッバス議長が引継いでいる。
ワイ合意
Wye Agreement (ワイエ合意)1998年12月に米国でなされた合意。ネタニヤフ首相、アラファト議長に加えて病気で余命いくばくも無かったヨルダンのフセイン国王も参加し、撤退などについて合意がなされた。

【年表】

1956年 アラファトら「ファタハ」を結成。

1969年 PLO議長にアラファト(2月)

1985年 アラファト議長とヨルダン王、国際和平会議へ合同代表団結成で合意「アンマン合意」(2月)

1989年 アラファト議長、日本政府の招待で訪日(10・1〜4)

1993年 アラファト議長とラビン首相がPLOとイスラエルの相互承認、暫定自治合意を正式確認。オスロ合意の正式調印(9・9)

1994年 アラファト議長とペレス外相は、オスロ合意にもとづき、ガザ・エリコ地区からのイスラエル軍撤退などについての合意文書に仮調印(2・9)

1994年 ラビン首相とアラファト議長が、オスロ合意にもとづく暫定自治合意(カイロ協定)に調印。暫定自治政府が発足(5・4)

1994年 アラファト議長がガザ入り(7・1)

1995年 イスラエル軍が撤退したベツレヘムで、アラファト議長がクリスマスミサに出席(12・24)

1996年 「オスロ2」によりパレスチナで選挙が行われ、88人のPNC議員と大統領にアラファト議長が当選(1・20〜21)

1996年 アラファト議長とネタニヤフ首相がワシントンで会談。クリントン大統領とヨルダンのフセイン国王が仲介に当たった(10・1〜2)

1997年 米国オルブライト米国務長官が中東を歴訪。ネタニヤフ首相、アラファト議長とそれぞれ会談。和平に向けての取り組みを要請(9月)

1998年 クリントン米大統領はネタニヤフ首相、アラファト議長とそれぞれ会談。オスロ2にもとづく撤退実施が焦点となったが、大統領提案の12〜13%に対しネタニヤフ首相は9.5%以下、パレスチナ側は約3割以上を求めたため決裂(1月下旬)

1998年 ビル・クリントンの仲介によりネタニヤフ首相とアラファト議長との間で、ワイ合意が締結。(10.23)

2000年 バラク首相とアラファト議長がクリントン大統領の仲介で和平協議を行ったが、アラファト議長は合意を拒否。武装蜂起の準備を開始した。(7月)




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