暦について

今日は、暦の不思議についてお話してみたいと思います。暦はいつも使っているものなので、誰もあまり深く考えてみません。今日は2011年2月13日ですが、こういう日付があるのは当然のことだと思って暮らしているのです。 しかし、このような日付を私たちが普通に使えるようになった背景には、長い歴史があるのです。

聖書が与えた暦

創世記の一章14節を読んで見ましょう。

神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。夕となり、また朝となった。第四日である。

ここから、天体が造られたことが二つの目的があるということが分かります。一つの明らかな目的は「地を照らす」こと、これは照明です。太陽の光はみなさん意識しておられるでしょうが、月の光が明るいことは、現代の私たちは意識しません。街灯がすごく発達しているからです。昔の言葉で「月夜ばかりじゃないぜ」という表現がありますが、それは真っ暗な夜に復讐をしてやるぞという意味です。
天体の第二の意味は「しるしのため、季節のため、日のため、年のため」、つまり、天体は時間を示しているのです。星が季節や時間を示していることを、皆さんは意識しておられるでしょうか。今では人間の暮らす地域は非常に明るくなっているので、十数個、多くても数十個しか星が見えません。しかし、暗かった昔は全天で数千個の星が見えました。吉野にある天川村は、星がたくさん見えることを観光資源としていますが、それくらい星が見えにくいのです。

私が子供のころは結構たくさん星が見えまして、私もよく見ていました。星を見ていると、冬と夏と全然星座が違うことがわかります。星座は約24時間で全天を回るので、時間帯によって見える星座が違います。そして、夏と冬でも違います。今の時期でしたら冬の星座であるオリオンが真ん中あたりに見えるのですが、夏になりますとさそり座とか全く違うものが見えてきます。昔の人は真剣に空を見ていたので、星座が季節によって違うということは、よく知っていました。月と星は、夜空を飾るだけでなく、時を刻むものとして神が与えておられるのです。

月の満ち欠けと太陰暦 

太陽暦では、月と月の満ち欠けが全然関連していません。でも、太陰暦を使っていた時代はそうではなかったのです。金色夜叉という小説には「来年の今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる」という名文句がありますが、太陽暦だと成り立たない言葉です。なぜかというと、太陽暦では来年の今月今夜には月は出ていないからです。でも、太陰暦であれば8月の15日は必ず満月だと決まっています。このような感覚は現代人には無くなってしまいました。旧暦であれば、お盆の15日は必ず満月になります。
ユダヤ暦も太陰暦です。たとえば過越の祭はニサンの月の14日ですが、それはいつでも満月になるのです。プリムの祭、仮庵の祭も、いずれも満月です。イスラエルの民がエジプトを出た時も、カナンの地で毎年毎年、過越の祭を祝っていた時も、空には満月が輝いていました。

日・月・年の複雑な関係

さて、人間が一番最初に認識するサイクルは日です。明るくなって暗くなるという、最も短いサイクルは誰でも認識します。その次に認識するのが、月の満ち欠けというサイクルではないでしょうか。これは、約29日、つまり4週間くらいのサイクルです。ところが人々の頭を悩ましてきたのが、月のサイクルと日のサイクルが整数で割り切れないことです。
正確に言いますと月の満ち欠けの周期は29.53日。そこで、1ヶ月を29日にすると月のサイクルよりも短くなって、暦が進んでしまいます。一方、30日にすると遅れてしまうのです。29日にしてもだめだし30日にしてもだめ。この中間の周期で月を切り替えるのは、ものすごく難しいのです。
さらに、月の次に人間が認識しやすいサイクルは年ですが、年と月のサイクルもまた割り切れないのですね。1年は12.37ヶ月なので、12ヶ月を1年にするとカレンダーが年々、早くなってくるのでどこかで余分な月を入れてそれを調整しないといけなくなってきます。数値が中途半端なので、1年おきに12ヶ月と13ヶ月を繰り返す、などの簡単な方法では対応できません。たとえば3年に一度、13ヶ月にすると1年が12.33ヶ月になるのですが、それでも12.37とは微妙にずれるので、すぐに狂ってきます。

最初は観測主義 

月を決める最も単純な方法は観測主義です。観測主義は今でもイスラム暦などで行われているのですが、それは月の初めになると新月を観測するのです。月が欠けて行き、ついに見えなくなると、こんどは夕方にすごく細い三日月のような新月が見えます。これを観測するのです。最初に細い糸みたいな月が見えたら、新しい月が始まったと決めます。皆さんあまり見られたことがないかもしれませんが、新月は結構見にくいものです。しかも、見えた直後に水平線からすぐに沈んでしまうので、見えたか見えないか分からないので、2人の証人が必要なのです。

ユダヤ人たちもずっとこのようにしていました。エルサレムから一生懸命月を見て、そして新月が見えたら新しい月が始まる。こんな形式が可能だったのは、たぶんイスラエルではほとんど曇りが無くて、晴れの日が多かったからかも知れません。

観測主義の問題点

観測主義の第一の問題は、雨や曇りで月が見えない場合の対応です。これは、たいていの場合、2日間にわたって見えないと月が始まったことにするという方法で切り抜けます。
第二は、場所に拘束されることです。当然、地形や軽度で新月が見えるか見えないかが変わるので、どこか観測地点を1箇所にしなければなりません。これは、ユダヤ暦の場合はエルサレムでした。しかし、新しい月が始まったことを、どうやって人々に知らせるのか、という大きな問題が発生します。エルサレム市内くらいでしたら「新しい月が始まったぞ」と言って叫んで回れば、その夜の間には伝わるかもしれません。でもイスラエル全土となるとそうはいかないでしょう。伝令が走って伝えるのでしょうか。ある説では、煙やたき火で新しい月の始まりを知らせるシステムがあったとのことです。それでも、離れた地域に人々が住むようになると、観測主義は困難になって来ました。
さらに、次の月がいつ始まるかわからないと、商取引にも問題が出ます。来月の2日に納品しますと言って契約を書いても、その来月というのがいつ始まるかが、月を見ないと分からないのでは、話になりません。そこで、どうしても先の先まで決めるカレンダーが必要になってくるのです。
さて、新月は簡単に観測できますが、新年を観測するのは大変困難です。氷が初めて張った日とか、桜が咲いた日とかいうのは天候で左右されてしまいます。天体現象である冬至や夏至、春分、秋分も非常に観測が難しいのです。
そこで、人類は様々な観測技術を駆使して、日、月、年の関係を確定し、新約聖書の書かれた時代には、かなり信頼できる暦を使うようになっていました。

ユダヤ暦と和暦の違い

ユダヤ暦と和暦は共に太陰暦ですので、1日程度のずれはありますが、並べてみると日付がほとんど同じになりますが、大きな違いがあります。 それは、1年を12か月とした場合に、どうしても入れなければならない余分な月、つまり閏月の入れ方(置閏法)が違うのです。和暦は年間を通じて様々な時期に閏月を入れますが、ユダヤ暦では年の最後の月(3月頃)であるアダルの月の後に、第二アダルという月を入れます。ちなみに、アダルの月にはプリムの祭がありますが、第二アダルがある閏年は第二アダルに祝うと決まっています。

ユダヤ暦の2つの新年

さて、ユダヤ暦の新年については、少し混乱があります。聖書の中では出エジプト記12:2に正月(第一月)という言葉が出て来ます。それは過越の祭の時です。現在のユダヤ暦のカレンダーをお持ちの方は、新年祭(ロシュ・ハシャナ)が9月頃に来ることをご存知かと思います。
聖書は春に来る過越の祭の時が正月だと言い、ユダヤ暦では秋に来るロシュ・ハシャナが新年だと言うわけです。どうしてそうなったのでしょうか。ユダヤ人たちがバビロン捕囚になる前は、春の過越の祭の月を正月として祝っていたのです。バビロンの人たちは秋分から新年が始まる暦を使っていたので、ちょうどその時にユダヤ人たちが祝っていた「ラッパの祭」がいつしか新年の祭になりました。
ユダヤ暦と聖書暦の違いは、時々混乱を招きますので、覚えておかれるといいでしょう。ちょうど日本でいうと1月の新年と、4月から始まる新年度の違いのようなものです。

年の数え方

年のサイクルの決め方まで話を進めましたが、次は、年数の数え方、つまり年号について考えて見ましょう。年を数えていくのは意外に難しいことです。西暦みたいに年をずっと数えていく習慣が始まったのは実はかなり後になってからで、その昔は支配者が変わると新しい年号を始めるのが普通でした。ルカによる福音書3章1節には「皇帝テベリオ在位の第十五年」と書いてあります。われわれの感覚で言うと西暦何年と書いたほうが分かりやすいと思うのですが、実はこれ以外に書きようがなかったのです。ローマではいくつかの表記法がありましたが、何々皇帝の何年という形が最も一般的でした。

世界的に言うとこの表記方は一般的なものです。日本でも昭和何年とか平成何年とか言う元号のシステムが使われますが、これも天皇陛下が替われば新しい年数のカウントがスタートします。昔は、疫病があったりすると新元号に変えたので、数限りなく新元号ができていました。日本だけでなく、中国でも数千年前から元号が使われていたので、中国史では元号が多くて大変です。世界中のあらゆる国はほとんど支配者が変わった時から新しく年代を数えていました。しかし、これは大変不便なのです。中国と日本が貿易する場合、契約書が中国の元号で書いてあったら、それを日本の元号に換算しないといけないし、中国も日本も頻繁に元号が変わるわけですから、ますます複雑になる。それに加えて月日も違います。世界が交流を始めると、バラバラな暦を使っていると実質上ものすごく不便が出てくるのです。

現在の西暦の誕生

統一性のある暦さえ使えば、そのような不便は一度に解消されます。ローマでも歴史を重ねて多くの年号が使われ、計算がものすごくややこしくなっていたので、キリスト教が国教化されたときにキリスト紀元を制定しました。
キリスト紀元とはいうものの、計算間違いで4年分ずれてはいますが、ともあれキリスト紀元は便利だったのですぐに定着しました。ほどなくローマ帝国は滅びてしまうのですが、ローマが滅びてもキリスト教がヨーロッパを支配していたので、そのカレンダーはヨーロッパ全土で使われるようになりました。
さて、この時代に使われていたのは、ユリウス暦(Julian Calendar)と呼ばれる暦法でしたが、その後にその暦法の誤差がひどくなって来たため、1582年にグレゴリオ暦という暦が導入され現在に至っています。ユリウス暦は旧暦、グレゴリオ暦は新暦とも言われます。
現在、この2つの暦の間には14日間の差があり、ユリウス暦の方が遅れています。しかし、教会が東西に分かれていた関係で、西方教会は新暦にしたのですが、東方教会は現在に至るまで旧暦のままです。そこで、イスラエルでは西方教会が12月25日にクリスマスを祝い、東方教会が1月7日にクリスマスを祝うという状況になっています。 ちなみに、グレゴリオウス帝が新暦を導入したわけは、財政赤字の対策で、10何日かの給料を払わずに済まそうと考えたとか。日本が太陽暦に切り替えた時も同じ理由だったと言われます。

暦の制定は力関係

こうして西暦が確立した後、そのカレンダーは大航海時代と共に全世界に広がりました。現在、日本の和暦や、イスラエルのユダヤ暦、イスラム暦など複数の暦が使われていますが、あくまで地域的なものとして使 われているだけで、国際的にはほとんど使用されていません。
インターネット時代になった現在、あらゆる国のコンピュータの使用している時計はすべて西暦です。何と、キリスト教に大反対しているイスラム教徒でもヒンズー教徒でも仏教徒でも、誰もが西暦で動くコンピュータを使わないといけません。全てのコンピュータがキリスト紀元で時を刻まなければいけないというのは、意味の深いことではないかと思うのです。

誰の暦で考えるのか

古代には、王や皇帝がある国を支配し始めると、過去の歴史を改ざんして自分の都合の良いよう書き変えていました。自分に都合の良い歴史を自分でスタートして、その王朝が倒れれば次の王朝がまた新しい歴史を始める。つまり支配者にとって、世界は自分が生きている間だけなのです。それ以上の時間のスパンが無いのです。
しかし、西暦は違います。支配者が死に、王朝が倒れ、国が倒れてもいつまでも続く。私たちが二千十何年という年号を言う時、私たちは歴史の一こまを生きている、自分の人生を越えた尺度、時間があることを暗黙に認め、その中に生きていることを確認します。自分が生きている時間だけがあるのではなく、ずっと続く神の時の中に自分の時があるのだという世界観に立っています。このような暦をみんなが使っているのは、非常に大きいことじゃないかと思うのです。

私たちは、自分がいかにして福音を信じて救われ、神に帰るかということから聖書を学び始めます。それは、自分の人生という時間感覚です。しかし、聖書暦、キリスト紀元を考えると全く別の世界が見えて来ます。非常に長い時間をかけて進む神のご計画があって、その中に自分の担当すべきパートがある、と考えられるのです。そうなれば、全く人生の見方が変えられるのではないかと思うのです。人間がそういう時の感覚を手にしたのは素晴らしいことではないでしょうか。クリスチャンは、キリスト紀元の時間感覚を持って生きるべきではないかと思います。

「その時」はいつ来るのか

さて、聖書によればこの暦はある一つの時、つまり終末に向かって進んでいます。聖書には「その時」に関する預言が多く登場します。その時が来れば私はこれこれするというのです。「その時」はいつ来るのか、それは私たちの関心事であり、キリストの弟子たちにとってもそうでした。 使徒行伝1:6~8で弟子たちは主に聞いています。

さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

ここはギリシャ語ではカイロス(時刻)とクロノス(時間)という言葉が使い分けてありますが、とにかくイエスは興味深い答えをしています。イエスはいつとは答えず、その時は知らなくてもいいと言って、その後で、彼らに宣教を命じておられるのです。つまり、終わりの日がいつ来るかを考えるよりも、今すべき仕事をせよ、というわけです。

その時は決まっているのか

しかし、その時はいつなのでしょうか。2000年に世界が終わると予言した人々もいましたが、どうやらそれは間違いでした。 イザヤ書60章の預言を学んでみましょう。ここはイスラエルが完全に回復しまして、太陽が再び没しなくなるという、驚くべき個所です。イスラエルの栄光をたたえる個所です。その22節の最後のところに非常に不思議な言葉があります。

その時がくるならば、すみやかにこの事をなす。

これはヘブライ語でいうと奇妙なニュアンスがあり、その時が来るならそのことを「早める」と書かれているのです。これはユダヤ人のラビたちが頭を悩ませた難問です。その時が来るということは、あらかじめ日が決まっているはずですが、もしも早めることができるなら日は決まっていないことになります。神様のカレンダーには、終わりの日に赤い印が付いているのでしょうか。それとも、日は決まっていなくて、ただ終わりの日がいつか来ることだけが決まっているのでしょうか。
私たちは2011年に生きていますから、2011年までは「その日」が来なかったことがわかります。それがわかっていれば、1900年頃に生きていいた人たちは、もう少し怠ける気になったかもしれません。もし、パウロが今の時代に出てきたら彼は腰を抜かすと思います。彼は今にも再臨があるように考えていた節があります。いくら遅くなっても紀元150年くらいまでにはキリストは再臨されると考えていたのではないでしょうか。実際は少なくとも二千年間、再臨はありませんでした。私たちはもうすぐ再臨があると思っていますが、案外もっと先なのかもしれない。ずっと先なのか、今すぐ来るかは重大問題です。5年後に再臨があるとわかっているなら、たとえば10年後のことを考えて、指導者育成などをするのは無意味になるでしょう。
いったい、終わりの日は決まっているのか。このことについてラビ達が議論して出した結論は意外なものでした。日は決められたのだが、主はそれを遅くしておられるのだと。実は新約聖書にもそれと似たような解釈が書かれております。

ペテロ第二の手紙第3:8
愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、 千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、 主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。しかし、主の日は盗人のように襲ってくる。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

このように書かれています。「約束の実行を遅くしておられるのではない」とは書いていますが「ながく忍耐しておられる」という所から後を読むと、ほんとうは早くしたいのだが一人も滅びることがなくすべての人が悔い改めに至ることを望んで一生懸命に待っておられるというニュアンスを、ここから読み取ることができると思います。
ラビたちの見解もそうでした。終わりの日は裁きの日なので、この日が来てしまえば人々に悔い改めるチャンスはなくなってしまうわけです。ですから、チャンスを出来る限り大きくしようと、神様はイライラしながら忍耐しておられる。最初から日が決まっていて、まるで目覚まし時計のように自動的にその日が来るというのです。

神様の時間の尺度は人間のデジタル時計で測れるような尺度ではなくて、1日は千年のようであり千年は1日のようであると書かれています。ですから、その時は決まっているとも言えるが、じっと忍耐して待っておられるとも言えるのでしょう。

私たちの役割

神様は「ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望」んでおられるわけですから、私たちが働いて人々を悔い改めに導かない限り、神様は「その日」を来させることができません。 その日がいつ来るのですかと弟子たちがイエスが質問した時に、イエスが言われたのは「あなた方は地の果てまで証人となる」と言われました。それから弟子たちが各地で宣教し、その結果、キリスト紀元という暦を全世界の人が使っています。この暦は、弟子たちが福音を述べ伝えたその成果なのです。
そして「その日」はずいぶん近づいて来たようです。その日は早く来てほしいのですが、早く来るためには状況が整わないといけない。つまり神様は「これで良い」と言われるまで、悔い改める人が増えないといけません。ですから、そのことのために私たちは努力をしているのです。
その日を来たらせるために、共に働こうではありませんか。

石井田直二(シオンとの架け橋)