シオンとの架け橋:特別資料

キリスト教への対応をめぐる
ユダヤ人社会内部の意見の違い

 

近年、イスラエルとの交流が深まり、多くの人々がイスラエル支援活動や、イスラエルのメシアニック・ジューとの交流などに参加されるようになりました。

昔、イスラエルのために祈り始めた人々は、ほとんどユダヤ人との交流もありませんでしたが、現在こうして実際にイスラエルに起こされつつあるビリーバーと交流できるとは、何と素晴らしい時代でしょうか。


しかし、こうして実際に交流が始まると様々な問題が発生します。ユダヤ人社会が一枚岩ではないため、特定のグループと付き合うと、どうしても他方のグループと交流しにくくなというのは、大きな問題です。

 


 

クリスチャンとしては、こうしたユダヤ人社会内部の対立軸をよく理解し「知恵をもって」対処しつつ、いつの日かそうした対立が無くなるように祈って行かなければなりません。

最初は、20079月号のシオンとの架け橋郵送版ニュースレターに掲載した解説記事、続いて主なメシアニック・ジューからのコメントまとめました。


 なお、本ページに掲載した記事は、全て各記事の著者の個人的見解を示すものであり、シオンとの架け橋がその見解を支持するという意味ではありません。



 

2007年9月号ニュースレター2−3P掲載記事(郵送版ニュースをお読みの方は同じ内容です)

ユダヤ人、クリスチャン、メシアニック・ジューの微妙な関係

シオンとの架け橋代表

石井田 直二

8月6〜7日に東京でエルサレムサミットアジアIVが開催された。この集会を機会に、初めてイスラエルの現状を知ったクリスチャンも多く、出席者は異口同音に「すばらしい集会だった」と感動していた。

 

背景

このような形式のサミットは、近年、世界各地で開催されている。それを推進しているのはユダヤ教正統派、いわゆる宗教右派の人々だ。今までキリスト教に敵意を持って来たユダヤ教の人々が、クリスチャンに友好的になって来たことは、劇的とも言える変化である。

この変化を促したのは、世界的な政治情勢の変化だ。2000年にパレスチナが武装蜂起すると、世界中がイスラエル非難を強め「味方はキリスト教福音派だけ」という状況が生まれた。(福音派とは Evangelical の意味であり、日本的な意味での福音派、聖霊派の両方を含む。)そこでイスラエルでも「唯一の味方を敵視したままでいいのか」という機運が高まって来たのだ。

この変化の背景には、人道支援でユダヤ人との信頼関係を築き上げて来た、BFPなどクリスチャン・シオニスト団体の努力があったことも忘れてはならない。

そして2004年、宗教右派のイスラエル国会議員らが中心になり、超党派のキリスト教同盟者議員団(KCAC)が設立された。「キリスト教同盟者」という名前から、議員たちがクリスチャンだと誤解してはいけない。彼らはイエス・キリストを信じる気は無いが、政治的に反イスラムなどでクリスチャンと「共闘体制」を組めると考えている人々だ。

なぜ宗教右派が中心なのか。それは、ユダヤ・サマリヤがユダヤ人に与えられた「約束の土地」だとする点で、福音派クリスチャンと意見が一致するからだ。労働党など左派は神が与えられた土地とは考えないため、クリスチャン・シオニストとは意見が合わない。

 

ユダヤ人伝道と友好

今回のサミットでは、多くのクリスチャン講師が「ユダヤ人伝道」を強調したメッセージを語った。しかし、こうしたことは「1回だけ」のイベントだから可能だった、例外的なことだと言える。ユダヤ人との関係を永続させるためには、ユダヤ人伝道をするとは言わないのが暗黙のルールである。

「適切な時が来るまでイエスを信じなさいとは言わない」という態度には批判もあるが、間違いとまでは言えない。たとえば、クリスチャン団体が福祉活動などで地域社会と関わる場合、いきなり「私たちの活動は伝道が目的です」とは言わないのが普通だ。様々な活動の中で証しや伝道のチャンスが与えられることを願いつつ、しっかりと地域に奉仕し、機会があれば福音について語るというのが常道だ。だから、ユダヤ人に対して同じ対応を取るのは、極めて当然のことだろう。

 

「改宗」に関する心の傷

だが、理解しておく必要があるのは、ユダヤ人が伝道に対して非常に強い警戒感を抱いていることである。ヨーロッパでの強制改宗の歴史(本紙4ページ参照)から、クリスチャンがユダヤ人に近づくと「我々を改宗させる下心がある」と彼らは警戒する。だから、宣教の意思が無い事を、様々な形ではっきり示さないと、ユダヤ人との様々な共同プロジェクトでは協力を得ることが難しい。

そこで、ユダヤ教や他宗教との関係改善に取り組んできたカトリック教会は、1965年に第二バチカン公会議で「ノストラ・アエターテ」という宣言を出し、実質的に「ユダヤ人はイエスを信じなくても良い」とする見解を打ち出した。これは、宣教の意思が無いというほぼ完全な「証明」である。

 

根強い宣教反対

しかし、福音派で「ユダヤ人はイエスを信じなくても良い」という見解に同意する人はほとんどいないだろう。だから、福音派クリスチャンがユダヤ人支援活動を行う場合は何らかの形で「イエス・キリストを信じて欲しい」という願いを持つのが当然だ。それをユダヤ人側から見ると「やっぱり我々を改宗させる下心がある」ということになる。

だから、正統派の中ではクリスチャンとの友好に大反対する人々も多い。エルサレムの議員、マイナ・フェントンもその一人だ。彼女は、チーフラビ庁に訴えて今年5月にエルサレムで開催されたクリスチャンとユダヤ人の女性の集会「Woman to Woman」がユダヤ法違反だとする裁定を引き出し、ベニー・エロン議員を欠席させた。この会議の宣伝の一部に、ユダヤ人伝道を示唆する文言があったことが「決定的証拠」になったという。彼女は「クリスチャンの人道支援の下心は宣教」であり「彼らと協力すること自体、ユダヤ法違反」だと喝破する。(イスラエル・トゥデイ2007年8月号P19)

ユダヤ人への人道支援活動が、宣教活動の疑いを受ける事例は多い。元BFPで働き、来日歴もあるロン・キャントレル牧師夫妻(本紙1ページ参照)も、20年間イスラエルで支援活動を行っていたのに「宣教活動に従事した」との疑いを受け、この8月に退去命令を受けた。

 

メシアニック・ジューへの反発

以前のことだが、日本通で知られるラビのマービン・トケイヤー師を前に、日本のクリスチャンが「戦時中にドイツと同盟した罪」を悔改めたことがある。トケイヤー師は「諸君は間違った友人を選んだ。だが、またもや間違った友人を選んでいる。それはメシアニック・ジューだ」と語り、メシアニックと手を切ることを要求されたのである。

イスラエルでビザの発給などに大きな権力を持つ超正統派も、クリスチャン団体にメシアニック・ジューと手を切るような方向に圧力をかけている。

そこで、多くのクリスチャン・シオニスト団体は、メシアニック・ジューとの関係が広告の文面などで明らかにならないように、細心の注意を払っている。

こうした事情は、多くのメシアニック・ジューが良く理解しているが、それでも不満があるのが実情だ。多くのクリスチャン団体は実際にはメシアニック・ジューを支援しているのだが、正統派ユダヤ人からの反発を恐れて、メシアニックへの支持を公にしないため、メシアニックは不満を感じているのである。

 

急速に変化する状況

しかし、主流のユダヤ人とメシアニック・ジューの関係は、急速に良い方向に変化していると、多くの人々が指摘する。エイタン・シシコフ師は「主流のユダヤ人がメシアニックを憎んでいるという書き方はして欲しくない」と言い、ヨセフ・シュラム師も「両者の間には基本的な問題はもう存在しない」とまで言う。クリスチャン団体は、両者の関係に配慮するあまり、両者が別々だという先入観が強すぎるというのだ。

しかし、メシアニックに対するイスラエル人の目はまだ厳しいのが実情だ。超正統派のメシアニックに対する迫害は、最近でも根強く続いている。この8月には、リクードのネタニヤフ党首が、メシアニック・ジュー団体の「ドギット」と同じビル(以前はベイト・エステルと呼ばれていた建物)に事務所を構えたところ、それだけでスキャンダルになった。(シオンとの架け橋イスラエルニュース2007年8月15日)

ドギットのシュムエル・サルウェイ師は「メシアニック・ジューを迫害している団体を、クリスチャン団体が支援している場合もある」と指摘する。だから、クリスチャンが正統派ユダヤ人を支援する際には「私たちの兄弟であるメシアニックたちへの差別や迫害をやめて欲しい」という条件をつけて欲しいと、多くのメシアニック・ジューは言う。

 

「改宗」発想からの脱却

ユダヤ人が強く宣教に抵抗する背景には「異邦人がユダヤ人を異邦人の宗教に改宗させる」という思考方式があると、ヨセフ・シュラム師やツビ・サダン師は指摘する。ユダヤ人伝道を目指すクリスチャンも、それに反対する正統派ユダヤ人も「キリスト教への改宗」という発想から脱却できていないというのだ。

ユダヤ人は、異邦人がやってきてユダヤ人を教えているという話を聞いただけで反発する。メシアニックは「異邦人の手先になった裏切り者」なのだ。しかし、新約聖書はユダヤ人のものだから「欧米キリスト教の手先」にならなくても、ユダヤ人は自らの意思と信仰で新約聖書を伝えることができる、とシュラム師らは指摘する。その意味で「外国から来たキリスト教の宣教師」と「地元で育った伝道者」は、信仰は同じであっても宣教上の役割は全く違うのである。

前述の事件で「メシアニックとの絶縁命令」を発したマービン・トケイヤー師は、後日、電子メールで私に意見を求めて来た。私は「メシアニック・ジューは我々に福音のユダヤ性を教えてくれる大切な師である。師と交友を結ぶのは当然だ」と書いたら「それなら結構だ」という返事が帰ってきた。ユダヤ人が異邦人を教えるなら、正統派ラビでも文句はつけられないのである。

 

今後に向けて

イスラエル回復には多面的な活動が必要だ。クリスチャンの人道支援はキリスト教のイメージを変えるという意味で、重要な役目を果たして来たし、今後も果たし続ける必要がある。離散地からのユダヤ人帰還支援などは、今後ますます重要になるだろう。

しかし、イスラエルにおける異邦人による直接宣教はますます困難になり、メシアニック・ジュー自身による宣教が比重を増して行くと、多くのメシアニック指導者が予測する。

様々なイスラエルのための活動を行うクリスチャン同士の調和も、今後、重要性を増すだろう。今回のエルサレムサミットでは、諸般の事情で従来からのイスラエル関連団体はほとんど参加しなかったが、今回のサミットでイスラエルに目覚めた人々も、以前から活動している諸団体と、ぜひとも交流して欲しい。

 

クリスチャンへのお勧め

ネティブヤ指導者・牧師

ヨセフ・シュラム

ユダヤ人とクリスチャン、そしてメシアニック・ジューの関係について、私が言いたいことは以下の通りです。

 

1:イスラエルのイェシュアの弟子と、ユダヤ人社会の関係は急速に改善していて、もう私たちとユダヤ人社会の間には基本的な問題はありません。しかしクリスチャンたち、特にクリスチャン・シオニストの皆さんは、ユダヤ人社会とだけ関係を持ち、ユダヤ人の兄弟姉妹であるメシアニック・ジューとの関係を軽視する傾向があります。

 

2:イスラエル政府は民主的原則に立ち、人種や宗教による差別を無くす事に努力しています。ユダヤ人の友人であるクリスチャンたちは、イスラエルの国会議員たちに対して、イスラエル国家がイェシュアの弟子であるユダヤ人を差別し迫害してはいけないと、はっきり言う必要があります。真のイスラエルの友人であれば「イスラエルは世界に対して宗教的寛容と良心の自由における模範を示すべきだ」とはっきり言うべきです。

 

3:クリスチャンはイスラエル国内においてユダヤ人伝道をすると言うべきではない、というのが私の意見です。ただ、イスラエルとユダヤ人を愛し、イェシュアを信じるユダヤ人の兄弟姉妹を支援すべきです。その理由は3つあります。

a)第二次世界大戦のホロコーストの間、キリスト教の名においてユダヤ人になされたこと、また欧米のほとんど全ての教会がそれに沈黙していたので、彼らは道徳的に言ってユダヤ人に「信仰」を語る資格を失いました。しかし、日本のクリスチャンはこの点に関して独自の位置にいます。それは、中田重治師が国会に手紙を書き、ドイツに同調してユダヤ人を憎み、ユダヤ人迫害をしないように求めるなどの行為を行ったからです。

b)ユダヤ人伝道をすると称する人々のユダヤ人に対するメッセージは、古代からのカトリックの反ユダヤ的な置換神学にどっぷりと漬かったものです。

c)キリスト教会はまだユダヤ人に対して「ユダヤ人をやめなさい」と教えています。トーラーに反対し、ユダヤ性を守ることに反対するメッセージを教えているのです。

 

4:日本のクリスチャンたちは、ユダヤ教と、新約聖書のユダヤ性をもっと学ぶ必要があります。そうすれば、イスラエルの正統派とも、イスラエルのイェシュアの弟子たちとも、また、イスラエルの政府や国会議員たちにも正しく対応できます。

 

5:イスラエルで働く外国人の宣教師と、地元イスラエルのユダヤ人信徒は明確に分けて考えるべきです。イスラエルのユダヤ人信徒は、神のご計画上にで果たすべき役割が明確であり、未来がはっきりしています。しかし、キリスト教の教派は宣教師を送り出した国でも勢いを失いつつあるのが現状で、イスラエルでも未来はありません。古いキリスト教派が置換神学と反トーラーに染まった教理を書き換えることは不可能です。ですから、イスラエルがメシアを迎える準備を整えるための手助けにははらないでしょう。

 

兄弟関係の重要性

恵みの天幕 主任牧師

エイタン・シシコフ

私はイスラエルに住むメシアニック・ジューです。私は世界中のイスラエルを愛するクリスチャンと関係を結ぶことができて祝福を受けました。私はまた、イスラエル市民であり、イェシュアの弟子でない政府の人々やイスラエル人の隣人たちとも交渉を持っています。異邦人クリスチャンで、イスラエル国を支援したり、離散のユダヤ人共同体と関係を持ったりする人々は、メシアニック・ジューとの関係でジレンマに直面する場合があります。

イエスに関して、クリスチャンとユダヤ人との間には歴史的な厚い壁がありました。クリスチャンたちはイエスを信じ、ユダヤ人は信じないのです。しかし、この40年間のうちに、聖書に反するこの壁は壊されました。イエスの初期の弟子たちはユダヤ人であり、新約聖書もヘブル聖書(旧約)にもとづきユダヤ文化の中で書かれた文献なのですから、このような不自然な壁は壊される運命にあったのです。

では、ユダヤ人共同体と良い関係を確立しようとする場合、善意あるクリスチャンたちは、どのようにメシアニック・ジューと関わればよいのでしょうか。もし、ユダヤ人共同体が「我々は皆さんが好きだが、メシアニック・ジューは外してくれ。彼らがいると、ユダヤ人とクリスチャンという境界線が崩れて話がややこしくなるのだ」と言ったら、どう対応すべきなのでしょうか。

 

1:私たちはメシアにある兄弟

クリスチャンとメシアニック・ジューが聖典としている新約聖書は、両者がイエス・メシアの兄弟であると明確に述べています。私たちの調和は、エフェソ2:14-22、ローマ11:16-24に記されたように、イエスの弟子たちの義務です。私たちは互いを見捨てるべきではありません。それは両方の意味があります。メシアニック・ジューである私は「異邦人クリスチャンの皆さんと近い関係を持つことは都合が悪い」とは言えないし、クリスチャンたちも「メシアニック・ジューの兄弟と明確な関係を持つのは問題がある。そうするとメシアニックとは一線を画したいユダヤ人共同体と関係しにくくなるから」と言うことはできません。私たちは血の兄弟であり、そういう選択はできないのです。私たちはこの兄弟関係を尊重することによって、祝福を受けるでしょう。

 

2:ユダヤ人に敬意を表すること

しかし、上記の優先順位があるからと言って、イザヤ40:1にある「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」という義務を無視してはいけません。この2000年間というもの、キリスト教会は反ユダヤ主義の最悪の手先になっていたわけですから、それを悔改めて良好な関係を築くのは適切なことです。イスラエルの復興のプロセスを助けることは、神的な行動であり、悔改めが本物であることを示すものです。しかし、ユダヤ人の友人との関係は、メシアニック・ジューを仲間はずれにすることによって築くべきではありません。人間同士の普通の関係でも、互いの家族を認め合うのが適切なやり方です。たとえば、私がある人に紹介されて友人になるとして、その条件が私の兄弟や息子、妻を決して紹介せず、新しい友人と何かをする時には決して私の家族を含めないというものだったら、どうでしょうか。そんな関係は成立しません。ユダヤ人との関係を持とうとする人も、同じように考えるべきです。

 

3:福音を伝える際の要注意事項とその対応

この1800年間、福音宣教は悲劇を伴っていました。ユダヤ人たちは、剣を突きつけられて強制改宗させられたのです。また、私たちの民族の他の人々は、十字軍によって有無を言わせずシナゴグに集められ、生きながら焼かれたのです。ホロコーストも、恐ろしいことにマルチン・ルターが何百年も前に書いた激烈な反ユダヤ文献の影響を受けました。ですから、クリスチャンとユダヤ人がイスラエルを支援するという共同イベントで、イェシュアがメシアであるという話題を持ち出せば普通は良い雰囲気にはならないのです。

ですから、お互いの認識の空気を考えて、次のような事を考慮に入れて目標を設定すべきです。

a)あなたの心をユダヤ人に向けさせたのは、イスラエルのメシアの働きです。

b)もしあなたのユダヤ人の友人が興味を持ち、イェシュアの「ユダヤルーツ」について話してもいいと言う場合でも、決してそれを相手に強要しないこと。

c)あなたとイスラエルの神との契約関係によって、あなたはイスラエルの苦難を直視し、正面からイスラエルと向き合って長い道を歩く気持ちを与えられます。

 

4:イスラエルのメシアニック・ジュー運動

神がイスラエルを復興されたことに感動するクリスチャンにとって、この国のメシアニック運動と関係を持つこと以上に意義深いことはありません。今、イスラエル国内にはイェシュアの弟子であるユダヤ人のグループやコングリゲーションが100以上もあります。彼らはイスラエル国民であり、イスラエル国家に忠実であると同時にメシアにも忠実です。彼らは助けを必要としています。

この運動はまだ新しい運動です。クリスチャン共同体がイスラエルのために時間やお金をかけて何かをしようとする場合、新約聖書に立つユダヤ人の兄弟たちは聖書的に見て(ローマ15:25-27)優先課題です。教会が生まれたその地における、地元ビリーバーの共同体の劇的な復興を助けられるという、過去に例のなかった機会が与えられています。イェシュアはイスラエルにおいて復興されたユダヤ人の弟子たちから「主の名によって来る者に祝福あれ」(マタイ23:39)という声を聞くまでは私たちが彼に会うことは無いと言われました。イスラエルの兄弟姉妹たちは、友情とパートナーシップを待望しています。

 

「改宗」のメッセージは不要

キブン編集長 Ph.D

ツビ・サダン

基本的に言って、もし、何か言いたいことがあれば隠さずに最初に言うべきです。ですから、ユダヤ人が気に入っても気に入らなくても、伝道の意図があれば言うべきでしょう。

問題は、意図を口に出して言うべきかどうかではなく、その意図が適切かどうかということです。クリスチャンであろうがメシアニック・ジューであろうが、ユダヤ人がキリスト教に改宗すべきであるというメッセージを語る限り、ユダヤ人はクリスチャンの善意を利用するだけで、メッセージは拒否するでしょう。

この10年間、様々な働きを続けて来た結果、私がたどり着いた結論は「ユダヤ人としての宗教的・民族的存在を否定する福音のメッセージを、ユダヤ人は拒否する権利がある」ということです。民族の繁栄を犠牲にして、自分だけが救われようというのは、まともなユダヤ人の考えではありません。それは「裏切り」と呼ばれる行為です。パウロは自分の民のためなら、メシアから捨てられてもいいと言いました。メシアニック・ジューの歴史では、悲しいことにその逆のパターンが見られました。彼らは、以前の迫害者たちの世界観をすぐに受け入れたのです。今日生存している全てのユダヤ人の存在は、神によって与えられた民族性を定める契約に忠実だった祖先たちのおかげで守られて来たことを、メシアニック・ジューもクリスチャンも認識すべきです。

ですから、メシアニック・ジューもクリスチャンも、ユダヤ教を蔑視したり憎んだりすることはできません。「ユダヤ人を愛するが、その宗教は拒否する」というアプローチはありえません。ユダヤ教が律法主義であり、反クリスチャンで、パリサイ主義だと断じるだけの福音のメッセージは、憎しみの福音です。むしろ、メシアニック・ジューもクリスチャンも、ユダヤ人がユダヤ的に生活できように、努力をしなければなりません。

イェシュアはユダヤ教を破壊するために来たのではなく、ユダヤの偉大な賢人であり、彼の力によってユダヤ教に新たな命が与えられ本来の姿に立ち返ったというのが、福音のメッセージなのです。ユダヤ人の過去を尊重し愛するという態度を取らないなら、そういう人はユダヤ人の将来に対する脅威と見なされるでしょう。この原則は、メシアニック・ジュー運動だけでなく、ユダヤ教を改革しようとするあらゆる運動に言える原則です。イスラエル以外では「新しいユダヤ人」を模索するあらゆる運動は、結局、人々に忘れられてしまうのです。ユダヤ教を変えるということを示唆する福音のメッセージは、大多数のユダヤ人には無視され続けるでしょう。

キリスト教とユダヤ教の関係がもう少し有意義なものになると願う人々は、以上のことを学ぶべきだと思います。

 


クリスチャンの励ましに感謝

ドギット秘書

シュムエル・サルウェイ

実際的な形でイスラエルとユダヤ人を助けようと願う団体は、どんな団体でも私たちにとって励ましです。メシアニック・ジューは、完全なユダヤ人であり、また福音主義的な意味での「クリスチャン」と同じ信仰を持っています。ですから、もし、ユダヤ人とクリスチャンが関係を結ぶ際に、メシアニック・ジューが参加していないとすれば、それはイスラエルを支援することに熱心になっていて、メシアニック・ジューのことを忘れているのでしょう。

この重要なことについて、日本の牧師の皆様にニュースレターで説明して下さるのは、良いことだと思います。

クリスチャン・シオニスト団体はメシアニック・ジューという存在があり、イスラエルでも世界でも増えていることを理解すべきです。そして、メシアニック・ジューはクリスチャン・シオニスト団体が支援しているユダヤ人組織の一部から迫害を受けているのです。

ですから、クリスチャン・シオニスト団体は彼らがメシアニック・ジューと同じ身体に属していることを理解すべきです。クリスチャン・シオニストたちは、イスラエルの味方でイスラエルを支援するが、メシアニック・ジューと一体だということを、ユダヤ人団体に対してはっきりさせ、片方を受け入れて片方を迫害はできないことを説明して欲しいと思います。

 




以下の2本の記事は、ユダヤ教とキリスト教の共通の価値観に関するティックンニュースからの転載記事です。関連したテーマなのでジャスター師の許可を得て転載しました。

 

驚くべき論争

ティックン・ミニストリーズ指導者 神学博士

ダニエル・ジャスター

最近、驚くべき論争がイスラエルで報道された。それは、イスラエル人とクリスチャン・シオニストが共同企画したイスラエルを支援する集会に関するものだ。この催しの重要な主催者の一つがKCAC(キリスト教同盟者議員団)である。ところがエルサレム市議会のマイナ・フェントンという女性議員が高位のラビによる集会反対の裁定を引き出したのだ。ラビたちはユダヤ人がこの催しに参加することはハラハー(ユダヤ法)違反だとしたのである。この裁定はイスラエルのチーフラビによって再確認中だ。

フェントン議員はクリスチャン・シオニストの反対者だ。これは信じられないほど馬鹿げたことだが、米国その他の国でクリスチャン・シオニストはイスラエル国家の主たる支援者なのだ。

それでも彼女が恐れていることがある。それは、ユダヤ人とクリスチャンが関係を改善すれば、ユダヤ人がイェシュアに心を開き、ついにはクリスチャンになってしまう危険性があるというのだ。友人を拒否するための十分な理由とは言えないが、彼女の懸念は理解できる。

 

クリスチャン・シオニストの心理

クリスチャン・シオニスト団体は、メシアニック・ジューに関して2つの態度を取る。まず、彼らは宣教を支持しないと宣言する。しかし一部の人々は静かにメシアニック・ジューを支援し、我々メシアニックが自分たちの民族に証をするのは「宣教活動」ではないと解釈する。他の人々は決してメシアニック・ジューとは関係を持たず「手の届く範囲」にしておく。なぜなら、一部のユダヤ人たちはメシアニック・ジューを非難しない限りクリスチャン・シオニズムを受け入れないからだ。しかし、そうしようとする団体はさすがにいない。

 

ユダヤ人とクリスチャンの価値観共有

クリスチャンとユダヤ人が共通の価値観があるという主張をしていることを理由に、会議の賛同者たちと関係を絶っている反対派のラビもいる。彼は第一に、共通の価値観など無いというのだ。これは真剣に検討する価値がある。我々には共通の価値観があるだろうか。もちろんある。

何が共通の価値観か。一部の人々は、共有の価値観は全てユダヤ教の価値観であって、ユダヤ人からそれをクリスチャンが受け入れただけだと主張する。しかし、キリスト教の指導者たちの影響のもとに、西洋文明の中で発達し、今やユダヤ人にも受け入れられている価値観もある。しかし、新約聖書独特の価値観で、ユダヤ教には明確に受け入れられていないものもある。たとえば、敵を愛するという新約聖書の考えは、もともと伝統的なユダヤ教の中にあるものだが、主にキリスト教のものとなっている。

 

ユダヤ教にもとづいたユダヤ教とキリスト教の共通価値観

全ての人間が神のかたちに創造されたという信仰は、聖書がユダヤ教とキリスト教に与えるものだ。創世記9章に登場する、無実の人間の血を流すものに死刑が規定されている。殺人罪は人間の尊厳を犯すことから始まる。結婚にともなう貞操、まだ生まれていない胎児の価値(ユダヤ教では完全に規定されていない)、裁判の公正、政府の汚職を認めないことなどは共通の価値観だ。

さらに、神の主権を認めること、死後の生(復活)があることは、デニス・プレガーと、ダニエル・ラピンという2人のラビが指摘した通りだ。悲しいことに、現在は世俗的な相対主義の影響でこうした価値観が失われ、広くユダヤ社会で通用しなくなりつつある。これは西欧世界全体の傾向だ。

 

共通の価値観にキリスト教が追加した価値観

この件に関しては、ロドニー・スタークの著書「理性の勝利」を推薦したい。彼はクリスチャン的な西欧の価値観が政治の自由や社会正義と繁栄に大きく役立ったと指摘する。何世紀もかかったが、良心の自由への戦いはキリスト教の成果だ。

バプテストだったロジャー・ウイリアムス(1603-1683:政教分離を唱えたことで知られる神学者)は、真の宗教の自由と、他の人の宗教を変えるよう説得する自由がある国の概念を確立した。それは17世紀のことだ。さらに、人間の平等を求める戦いもクリスチャンが戦ったものだ。

最近の「アメージング・グレイス」という映画は、福音派のアメリカ人のすばらしい物語だ。ウイリアム・ウィルバーフォースが国会において、英国連邦における奴隷制度の廃止を求める戦いを戦った。アメリカにおいて奴隷廃止の戦いを戦ったのも、福音派の奴隷廃止論者たちだ。

今日、ユダヤ人もこのような聖書に基づく人間の価値をユダヤ人の良心の中心的なものと考えている。ラビ・ジョシュア・アブラハム・ヘシェルの人権に関する戦いや、彼とマーティン・ルーサー・キングとの戦いはその好例だ。最近、英国の著者がユダヤ教とキリスト教をはじめ、様々な宗教は社会の中で悪だけを生み出したという主張を展開しているが、それは根拠が無い主張だ。

 

侵食される共通価値

しかし、西欧世界で台頭する世俗的相対主義により共通価値が侵食されているのが現状だ。これは、人間の生命を脅かし、苦しみをもたらす変化だ。結婚と家族の崩壊は、最も危険な兆候である。律法の範囲内で与えられた自由が、何でもしても良いと解釈されている。これは再び奴隷制をもたらすだろう。第二代のアメリカ大統領ジョン・アダムスは「自分を制し、道徳を守る人だけが真に自由なのだ。良い社会の法律は歴史的な合意を支持するものである」と正しく述べている。

 

我々はどこへ行くのか?

過激なイスラムの誤った絶対主義に我々は直面している。今こそ、我々がユダヤ教とキリスト教の共通の価値観を取り戻すことが必要だ。イスラエルと聖書的なクリスチャンは過激なイスラム教と、西欧の相対主義に対抗しなければならない。イスラエルの存在は神の律法が絶対であることの証明だ。だからクリスチャンはイスラエルにつながっているのである。世俗相対主義の社会はイスラム教を甘やかし、イスラエルは孤独な戦いを強いられる。世俗相対主義には背骨が無い。

この意味で我々はイスラエルとその友人であるクリスチャンの協力関係が深まるように祈らなければならない。しかしそれは、過激な右派イスラエル人の主張を認めることではないという点は、過去にも強調して来た通りである。むしろ、ユダヤ人国家の正当な取り組みを支援すべきだ。だから我々は、ユダヤ人とクリスチャンの協力関係を壊そうとするマイナ・フェントンらの試みが失敗するよう祈るべきである。そしてまた、クリスチャンの愛が間接的にユダヤ人の心をイェシュアに開いていることを、喜ぶべきである。

 

マイナ・フェントンの悪夢

ダニエル・ジャスター

マイナ・フェントンの最も恐れているのは、メシアニック・ジュー運動が成功し、イスラエルの多くのユダヤ人がイェシュアの弟子になることだ。そうなれば、ユダヤ民族は終わりだと彼女は考えている。

マイナ・フェントンは、正統派のユダヤ人女性でエルサレムの市会議員だ。彼女はメシアニック・ジュー反対キャンペーンを始めたのだろうか。そうではなく、彼女はクリスチャン・シオニズムに反対なのである。先月にもそれは紹介した通りだ。反対キャンペーンの理由は何か。クリスチャン・シオニスト団体はユダヤ人に「宣教」する尖兵だと彼女は言う。クリスチャン・シオニズムはユダヤ人のキリスト教信仰に対する抵抗を弱めてしまうと、彼女は見ている。

彼女は部分的な成功をおさめた。最近、上位のラビ法廷は、クリスチャン・シオニストの主催または共催する集会にユダヤ人が参加するのはハラハー(ユダヤ法の実施規則)に反するとの裁定を出した。あるラビは、クリスチャン・シオニストのイスラエル支援は短期的には有益に見えるが、長期的には危険であり重大な結果を招くと指摘した。

この戦いの相手は、クリスチャン・シオニストと、彼らと協力するイスラエルのユダヤ人指導者である。その中心勢力は、近年にイスラエル国会の中で結成されたKCACである。

 

マイナ・フェントンの視点

現実面から言えば、マイナ・フェントンの見方は間違っている。クリスチャン・シオニスト団体はユダヤ人伝道の活動を全く行わず、世界中からイスラエル支援を得るという役目を果たしているからだ。しかし、ユダヤ人伝道という点では、彼らの見解には微妙な差がある。ある団体は全く伝道をしないが、他の団体は信仰についてユダヤ人から質問があり、明確な聖霊の示しがあった場合に限って福音を伝えるという立場だ。しかし、マイナ・フェントンはクリスチャン団体が自分と関係を持ちたいなら、メシアニック・ジューを非難せよと言うのだろうが、これらの団体がメシアニック・ジューを非難するということはない。

メシアニック運動は本来、クリスチャン・シオニスト運動に属するものではない。しかし、クリスチャン・シオニスト団体はメシアニック・ジューが神によって起こされた運動の一部だと一般的には認めているのである。

KCACは関係を持つクリスチャン団体に対して、決して宣教活動に従事しないとの誓約を求めている。一部のクリスチャン・シオニスト団体はそれを拒否したが、それ以外の団体は同意した。現在、KCACと関係を持つ団体は、全てこの誓約を行っているのである。

それでも、マイナ・フェントンのキャンペーンが標的にするのは、この誓約を行った団体である。結局、彼女はどちらにしても反対するのだ。

 

マイナ・フェントンは重要

マイナ・フェントンは2つの理由で重要である。それは、彼女が正しいからではなく非常に間違っているからだ。今、世界はイスラエルを見捨てており、クリスチャンの支援は非常に重要だ。だから、彼女の行為はイスラエルに害を及ぼしている。それでも彼女が重要なのは、かなり多くのユダヤ人の気持ちを彼女が代弁しているからだ。キリスト教や、それに類するメシアニック・ジュダイズムに対する本能的とも言える憎しみは、正しく理解し、強い祈りと愛、そしてイスラエル官僚との交渉で戦う必要がある。

第二に、マイナ・フェントンは気付いていないが、彼女が懸念することは、まさに預言の成就なのだ。聖書によれば真のクリスチャン(ローマ11章の異邦人信徒)はイスラエルにねたみを起こさせる重要な役目がある。彼らの与える愛がユダヤ人の心をやわらげるということが、今日、起こっている。今や、イスラエルのユダヤ系報道機関が、福音派クリスチャンを「我々の最良の友人」と呼んでいるのだ。しかし、マイナ・フェントンは福音に対してユダヤ人の心が柔らかくなることを望まない。

 

メシアニック・ジューが大成功したら?

マイナ・フェントンとその同志たちは、ユダヤ人がイェシュアを信じることはイスラエル国家とユダヤ民族の存続の危機だと考える。そこで私は、メシアニック・ジュー運動がイスラエルで大成功した時の状況を予想してみたい。私たちはその成功のために祈るべきであり、私はそれが可能だと信じている。

黙示録はイスラエルの全部族から選ばれた14万4千人について述べている。彼らは女にふれたことのない男性だ。これはイェシュア帰還の直前にイスラエルにいるビリーバーだと解釈する注解者が多い。そして女にふれたことがないという表現は、霊的純粋性を示すものであると私は解釈する。だから14万4千の多くは既婚かも知れない。とすれば、少なくとも女性や子供、老人を含めると全体で50万人から60万人のメシアニック・ジューがイスラエルにいる計算になる。現在のユダヤ人口の10%だ。この数を皆さんは想像できるだろうか。私はできる。何年か前にワシントンDCに集まった「プロミスキーパーズ」(男性が悔改める米国クリスチャンの運動)の人数のわずか3分の1に過ぎない。

 

メシアニック・ジュー増加の波及効果は?

まず、神の律法を尊重するという影響が社会に及ぶ。それはラビ的な過剰な律法主義ではなく、もっと不変的な道徳律にもとづき、今日のユダヤ人の生活にふさわしい律法遵守である。それによって、イスラエルは道徳律にも法律にも、順法の精神を持った国に生まれ変わるはずだ。真の神のトーラーがメシアニック・ジューの影響により尊重される。その結果、人々が良心に戻り、社会の雰囲気が良くなる。妊娠中絶は減り、性的不道徳と売春は減り、結婚は重んじられ家族が増えるだろう。正統派と違ってメシアニック・ジューはゲットーのような閉鎖社会に閉じこもらないので、正統派よりも大きな影響力を発揮できる。政府の汚職は減り、政治家はもっと品性のある行動をするだろう。メシアニック・ジューの政治家や閣僚も生まれるだろう。

ニューエイジのような霊的運動は勢いを失う。トーラーは偶像礼拝、魔術などニューエイジや東洋宗教の霊性を批判する。トーラーではこうした宗教に参加することは死に値するのだが、イスラエルでは一般化している。正統派のカバラの教えの中にさえも、こうした要素が混入しているが、正統派の中から反聖書的だとして怒りの声が出ることはない。ところが、メシアニック・ジューはイェシュアがメシアだと信じ、メシアが神だと信じ、三位一体という複数の神を信じているという理由で正統派から非難されている。しかし、これらのメシアニックの信仰は非難されるべきものでない。メシアの神性や神の複数性などは、旧約聖書の中に示唆しているからである。

だから私たちの状況は皮肉だ。ユダヤ民族の継続は、世界観と、ユダヤ的生活をすることの霊的な目的にかかっている。メシアニック・ジューの世界観はユダヤ民族の継続性、トーラー、神の存在を基本とし、ユダヤ教とも矛盾しない。しかし、奇妙なことにユダヤ人たちの体制は歴史的なユダヤ的世界観と正反対の物質主義や無神論、ニューエイジの存在を容認している。メシアニック・ジューはこうした間違いに対する解毒剤の役目を果たせるだろう。

メシアニック運動が発展すれば、ユダヤ的生活は復興される。聖書的な安息日や聖書の祭は、全国で新たな喜びをもって祝われる。メシアニック・ジューの祝典はすべての人の手本になる。聖霊の臨在は祝典を魅力的にする。海岸で時間をつぶすよりも、祭の方が楽しくて有意義だ。ラビ的ユダヤ教を正典化して偶像化しなくても、ユダヤ的伝統を聖書的なバランスで楽しめるだろう。

聖書的シオニズムに忠実な人も増える。世界の贖いをもたらす神の目的のために、イスラエルの地に住んでいるという重要な確信は、聖書的シオニズムの真の存在理由となる。この地に住んでいるが故に払う犠牲や苦難の意味を見つけられずに夢を失ってしまうイスラエルの若者に対して、メシアニック運動は答えを与えることができるのだ。

そして、メシアニック・ジューが増えれば、諸国を回って兄弟姉妹たちに立場を説明できるので、クリスチャンのイスラエル支援はもっと増えるだろう。

そして、イスラエルのアラブ人たちに対する愛の新しい運動が生まれる。クリスチャンのアラブ人と共に、アラブ人の権利を求める新しい運動となる。福音はイスラエルのアラブ系市民の間にも、うまく広がっていくだろう。

メシアニック運動に関わる者が、霊的に力にあふれ、ユダヤ的な生活と召命に忠実であれば、以上のような事が実現するだろう。そのためには、イェシュアの弟子たちの間で、弟子訓練のパターンが確立される必要がある。

マイナ・フェントンの恐れとは逆に、メシアニック・ジューの成功はこの地に我々ユダヤ人が存続するための最も良い筋書きなのだ。終わりの日が来る時、メシアニック・ジューは祈りと証の最前線に立つ。彼らは、イェシュアの帰還によりもたらされる救済を固く信じていることを、人々に示すのである。我々の証は、イスラエルのイェシュアに対する告白の鍵となる。「主の名によって来る者に祝福あれ!」