カスパリセンターによる
ネティブヤ調査報告書

「ネティブヤ」は、宣教など広範な活動を行うミニストリーの名称であるが、会衆としての名称は「ロエ・イスラエル」である。

以下のレポートは、エルサレムに事務所を置き、メシアニックに関する研究や支援を行っている「カスパリセンター」が1999年に出版した詳細な調査報告書「事実と神話」よりの全訳である。



1-13:ロエ・イスラエル 翻訳:福田正明

所在地:エルサレム中心部
名称:ケヒラト・ロエ・イスラエル(イスラエルの羊飼い)
分類:会衆
法的地位:アムター
集会場:ネティブヤ・バイブル・インストラクション・ミニストリーズが借りている施設内

歴史:1972年に創立。1993年に再創立。1972年に地元の教会を離れた人々6名が集まって聖書研究グルーブとして活動を始めた。最初の頃は個人の家で集会を始めたが1974年にナルキス通りにあるバプテスト教会の施設に移った。この時点で会員が20名に増えた。1982年に、この施設が放火により消失させられるまでグループはそこで集会を続けて来た。1981年に、ヨセフ・シュラム師がネティブヤ・バイブル・インストラクション・ミニストリーを創立した。これは地元で登録されているアムターで、その目的は新約聖書とそのユダヤ的背景を研究し、ユダヤ人とクリスチャンの間の、相互理解の橋渡しとなり、イエスを信じるイスラエルのメシアニック・ビリーバー達の精神的及び物質的向上である。ネテイブヤはナルキス通りにビルを購入し会衆はここでネテイブヤ(主の道)の名のもとに集会を続けて来た。1993年に、ネティプヤ・コングリゲーションはその名称をロエ・イスラエルに変えた。コングリゲーションが成長したので一つの自治組織として財政的に独立し、ネティブヤの伝道に関わってきた各種のプロジェクトや交わりとは違う働きをすべきであると考えるようになった。

これまでずっと、シュラム師がネティブヤ及びロエ・イスラエルの顔である。彼は1946年にブルガリヤで生れ、1948年に両親と共にイスラエルに移住してきた。彼は無神論のユダヤ人家庭で育ち、16才の時に信仰に入り洗礼を受けた。学校の宿題として与えられた課題がキリスト教であったためにレポートを書く必要から新約聖書を読んだことが信仰に導かれる契機となった。両親は彼が洗礼を受けたことを知ると彼を勘当した。彼はあるアメリカ人家族に助けられて米国に渡り、そこでミシガン・クリスチャン・カレッジに入った。1969年にテネシー州 ナッシュビルにあるデービッド・リップスカム・カレッジを卒業した後、彼はイスラエルの人々に福音を伝えエルサレムにおいてメシアに従う真のユダヤ人コングリゲーションを回復するという目標を持ってイスラエルに戻った。彼が影響を受けた2人の人物がある。モーシェ・イマニュエル・ペン・マイア(1904〜1978)とラビ・ダニエル・シオン(1883〜1979)である。

1)1969年に米国から帰国した直後、シュラムはハイファの郵便局に当時勤めていたモーシェ・ベン・マイアを訪ねた。2人はエルサレムに初代教会を回復させるという共通のビジョンを持って意気投合した。ベン・マイアはエルサレムで生れ育ち、メア・シェリムで正統派ユダヤ人としてそのライフスタイルを守り全生涯を生きた。1925年にベンと更に二人の友人とで「ケヒラト・イバリム・メシヒム・ビエルシャライム」という独立したメシアニック・コングリゲーションをエルサレムに設立しようと試みた。1927年にベンはシカゴにあるムーディー聖書学院で学ぶためにイスラエルを離れ、1930年に帰国した。1930年代から1950年代後半まで彼は異なった使命の為に働いた。そしてその働きは一層決定的なものになった。彼はノルウェーのカルメル運動のリーダーであるバー・フェイ・ハンセンと良い関係を保った。この人物は、イスラエルに対するクリスチャン達の伝統的な伝道に反対であった。

1950年代にはベン・マイアはメシアニック・ジューの中の中心人物のひとりになっていた。当時、彼らは「イスラエル・メシアニック・ジュー連合」を組織すべく奮闘していたが、その試みは成功することはなかった。彼は語学の才能を発揮し翻訳、書き替え等の外に「シア・カダッシ」に載っている殆どの讃美歌を作った。この讃美歌集は1976年に改訂されるまでイスラエルの殆どすべてのメシアニック・コングリゲーションで使われていた。彼はそれまでのクリスチャン宣教師たちを厳しく批判する論文を数多く書いた。彼は宣教師たちを彼の「敵」として見ており、メシアニック・ジュー達の連帯と効果的な伝道と証しをしようという彼等のすべての努力を妨害するものだと非難した。同様な見解がヨセフ・シュラムの論文にもしばしば見られる。ベン・マイアは3か月ごとに啓蒙紙を書いてイスラエル及びヨーロッパの人々に郵送した。その新聞は「シオンからの教え」というものであった。1981年の最初の発行からシュラムはこれを継続して彼のニュースレター及びネティブヤの会報誌として発行してきた。現在この会報誌は導入部分にシュラムの短い個人的なニュースを載せたジャーナル形式をとっている。毎号次のような文句がうたってある。−「シオンからの教え」は最初にモーシェ・イマニュエル・ベン・マイアにより発行され、現発行者は神聖さを汚さないようにする為に神の名を言ったり完全な形で書いたりすることを禁じている伝統的なユダヤ教に忠実であり続けます。

1971年にヨセフ・シュラムはベン・マイアに再会した。ベンはエルサレムに移って来ておりアフバという女性と結婚していた。アフバはフィンランド出身の女性でクリスチャンであったが結婚前にユダヤ教に改宗した。シュラムとベン・マイアはエルサレムにメシアニック・ジューのコングリゲーションを創立すべく共に働いた。フィンランドでシュラムが洗礼を授けた友人たちの中の幾人か(ルーテル派であった)の経済的支援を得て、ネティブヤは1982年にナルキス通りに自分たちのビルを購入することができた。

2)ダニエル・シオンはブルガリアのチーフ・ラビであったが、ブルガリア在住のときにイエスをメシアであり神の子であるとする信仰に入った。1949年に彼はイスラエルに移住した。彼はエルサレムのラビ裁判所の判事として任命されたが、イエスを信じている事が知られたのでラビの称号を剥奪された。しかし、彼はイエスを伝道し続けた。ロシア人ビリーバーの助けでヤッフォのエフェト通りにビルを入手し・そこで彼は1976年10月まで聖職者として勤めた。毎週土曜日の午前中にシナゴーグ礼拝を行い、午後は信者グループと共に新約聖書の勉強会を持った。勉強会の後、再びシナゴーグに戻り夕方の祈りを捧げた。彼は何百もの歌を作ったりブルガリア語で20冊以上の本も書いた。彼は完全な正統派ユダヤのライフ・スタイルで生涯を送り、クリスチャン宣教者とは一切関わりを持たなかった。1979年に彼が死去したのでこの小さなグルーブはネティブヤに合体した。

国の各所でいくつかのハウスグループが生れ、コングリゲーションの働きの一部をなした。しかし、1998年の時点では、ナザレの近くのガリラヤ南部モシャブにひとつだけが残った。1990年代初頭にメシアニック・ミドラシュ(大学)が設立された。現在シュラムを含む何人かの役員メンバーがいるが大学の役員とイスラエルを代表するメシアニック連合体の役員とを兼ねている。

迫害:コングリゲーションも、また個人メンバーも形は違うがそれぞれ迫害を経験している。集会場が放火されたりコングリゲーションや個人に警告を与えるポスターを貼られたり、殺すぞという脅しを受けたり、車のタイヤを切られたり壊されたり等がある。幾つかの新聞に否定的な記事を書かれた事もあった。1999年3月には、朝3時45分にヨセフ・シュラムのアパートに火炎瓶が投げ込まれた。瓶はこの時壊れなかった。加害者はシュラムの家が8階建の2階にある事、また一つ間違えば28世帯全部にその被害が広がる可能性もあった事など考えてもいなかった。

創立当時の中心人物:
モーシェ・イマニュエル・ベン・マイア、ヨセフ・バクター、ヨセフ・シュラム

1998年時点での中心人物:ヨセフ・シュラム及びリーダーチーム

神学的性格:エルサレムにおける初代教会のようなあり方を望んでいる。当時のユダヤ人たちの中で始まった事柄が今日自分たちのコングリゲーションで継続されていると見ている。彼等はメシアニックであって、無宗派であり、また非カリスマ的である。リーダーは、イスラエルにおいて活動している外国の団体に対してしばしば厳しい言葉を使う。そしてそれらの団体が自分たちの活動を止めてメシアニックの支援をしてくれれば、と願っている。この会衆はユダヤ人としてのアイデンティティを表現するのにシナゴーグ礼拝形式をとっている。また彼等は「トーラー第一」の表現を好まない。卜ーラーは初代教会にとって重要であった。従って重要なものである。コングリゲーションとしては、イエスの教えを通してトーラーに到着する事を求めている。従って彼等はイエスの教えよりもユダヤ人の伝統を通したトーラーの解釈は欲しない。
しかしながらユダヤ的伝統が、イエスやパウロの教えとぶつからない程度のものならばコングリゲーションはその伝統を守る事を勧めている。そして、その方が西洋のプロテスタント的伝統を取入れるよりも理に適った事だと信じている。すべてのユダヤ祝祭日も他のユダヤ社会と同じように祝っているが、しかし、祝いの中心はイェシュアにある事を強調している。クリスチャン教会の祝日は一切守っていない。礼拝堂には安息日礼拝の時に使われるトーラーの巻物の入ったアーク(保管箱)がある。

信仰信条:ない。「聖書が我々の信条である」。しかし、1987年にメシアニック運動同志の中からシュラムの見解のいくつかが非正統派的であるとの非難が出たのでそれに対しシュラムは彼の信仰についての個人的な弁明を書いた。メシアニック・リーダー達による「法廷」は、その非難が間違っているとの意見で一致した。個人的弁明書の「導入」部に次のように言っている。「好意によるクリスチャン宣教師達によって持ち込まれた宗派的セクト主義によって我々は災いをもたらされた。彼等は母国から分派と宗教的な競争を持ち込んだ。」弁明書には次の五つのポイントがある。

A:私の信仰の不変原則:「神は唯一である…。一神教は不変の聖書的教義である…。聖書(創世記から黙示録まで)は啓示された神のことばである…。イェシュアはメシアであり、生ける神の子であり、御子を通る以外に父に到る道はない…。」

B:私にとって譲れない事柄:「創造主は唯一の神であり、すべての人の父である。父は何者にも属さない。また何者にも生れさせられないし生じさせられていない。子は永遠の存在として父から生れた。聖霊は父と子から永遠に生じさせられている。イェシュアは神の子であり、永遠の存在として父から生れた。イェシユアは聖霊によりみごもらされたマリアを通して生れた。イェシュアは世が始まる前に神の中にいた。イェシュアの神的性質は、創造されたものではなく永遠の昔から存在する父の性質と神格の現われである。イェシュアは主と一体であり、性格においても目的においてもまた意図および権威においても主に等しい。これは神が、遺わす方であり、イェシュアは遣わされた方だからである。主とイェシュアは全く等しく、同時に階級の違いもある。つまり、主は父、イェシュアは子と呼ばれる。イェシュアが肉体にあった時でさえも主との特別な関係(神に等しい)を保っていた。(コロサイ書2:9)
しかし、この等しさによって主の単一性がいかなる点においても変わることはないしまた、神の唯一性が変わることもない。これらの事を考え合わせると、父と子と神の霊は聖書的表現である「神」の中に含まれることは当然である。救いという一つの状態は、神への信仰と、それに対する神の恵みを通してのみ成就できるものと私は信じている。人間は自分だけで、あるいは、共同体だけで神の義の基準に達することはできない。終りの日には裁きがあり、全ての人、つまり、正しい人も悪人も新約聖書の神の言という基準で裁かれる。
私はイスラエルが神の選民である事を信じている。アブラハムの時から選ばれた民である。トーラーはイスラエルにのみ与えられ、他の民族には義務を負わされなかった。しかし、他の民族は、新約聖書に説明されているように全ての人々に対する神の一般的な戒めからくる義務は負っている。メシアの降臨は、イスラエルの神に対する地位を変えてはいない。イスラエルは流浪したが、父祖たちのおかげで彼等は今もって神のハートに近い人々である。イスラエルの救いが聖書には明確に約束されている。我々はそのような救いというのは、イェシュアヘの信仰を通してのみ起きると信じている。神の国は現在、メシアの「体」に起きている。今、我々には王がおり教会は彼の王国である。イェシュアは現在役の「体」を治めており、その王として務めている。一千年至福期以前にキリストが再臨するという教義は基本的には聖書に則ったものではなく、この説に関連して言われていることは全て推論であるとみている。従って、私の意見としては、我々ユダヤ人ビリーバーはマイモニデスが「ヒルコート・メラヒーム12」で述べている原則を採用すべきであると思う。すなわち、「我々は、メシアがあたかも今来るような気持ちで毎日待っていること、また、神が明確に啓示していない事柄についてあれこれ思い巡らすことを止めること」である。」

C:メシアであるイェシュアの弟子になるにはどうしたら良いであろうか?:「神への信仰とイェシュアが神の子メシアである事を信じる事が新約聖書で明確に要求されている事である。悔い改めも、救いに至るために欠くことのできないステップである。公に信仰告白する事も救いのプロセスの一部である。また、これを何かの都合で除去する事は出来ない。水の中での洗礼はイェシュアの「身体」の中へ入っていくプロセスの終極的なステップである。救いの働きにメシアと共に参加するために洗礼は不可欠のステップである事が明確にされねばならない、これが新約聖書の要求していることである。我々がメシアの中に入っていけるのは洗礼においてのみである。」

D:キリスト教の歴史とユダヤ人:「ユダヤ人達の流浪の歴史のほとんどにおいて彼等は迫害を受け、人間の基本的な権利を否定されてきた。従って、クリスチャン教会はユダヤ人に対し伝道する権利を失っていると私は考えている。ユダヤ人に対し、クリスチヤンが持って入る唯一の権利は、愛を示す事と理解する事、そしてユダヤ人自身が自分たちの民に伝道する事を助けて促進させる事である。」

E:我々イスラエルに住んでいるメシアニック・ジューが心に留めておかなければならない事柄:「神の言葉を伝統的なユダヤ方式で学ぶことと献身…。我々の学習によってメシアニック・ハラハーを発展させなければならないと思う。そうする事によってユダヤ人共同体の中で新約のシステムを実践的に生きる事になるからである。イスラエルの地におけるビリーバーの家庭は、例えば、穏健な正統派が怖がることなく家に入ってきて食事を共にできるような家庭でなければならない。ユダヤ人共同体に対し、もし我々がユダヤ教の伝統や律法を守っていないというような事で非難される原因を作ると、我々は彼等から切り離されてしまい、何としてでも彼等をイェシュアのもとに連れていきたいという我々の
願いはかなわなくなる。この事は我々を律法の下に置くべきと言う事でもなく、また神の恵みから我自身を切り離すと言う事でもない。我々は初代教会の様になる為に骨折らなければならないという事である。」

F:カリスマ運動の問題とメシアニック・ジュダイズム:「…聖霊は人の本質的な特徴を持っている。聖書の中で彼は「助け主」及び「擁護者」として書かれており、時折彼自身に起因する行動があるが、これは本当は神の技である。キリスト教で三位一体の観点から聖霊が単純にひとりの人格で呼ばれるのはこの為である…。」

洗礼:候補者は受洗の準備が出来ていなければならないが、それには悔い改めと告白も含まれる。流水でありさえすれば場所は重要でない。このコングリゲーションはヨルダン川、砂漠の中の池、あるいはエルサレム近くの古代村などで行なった。

指導体制:ロエ・イスラエルは牧師と指導チームにより指導されている。コングリゲーションの精神的な事柄について彼等は全員責任がある。長老達は執事として選出される。パウロがテモテとテトスに宛てた手紙に述べられている必要条件に従って選出している。またアムターの法律的な事柄の面倒をみている委員会もある。実質的にはこの委員会は執事や女性補佐役の仕事になりがちである。

牧師であるヨセフ・シュラムは、米国で教育を受けた後1964年に帰国した。彼はヘブライ大学に入り、聖書と聖書考古学の学士号を得た。新約聖書はテネシー州、ナッシュビルにあるデービッド・リップスコム大学で1967年から2年間学んだ。1969年にイスラエルに帰国した後、ディアスポラ・イエシバで4年間学び、ヘブライ大学からユダヤ思想の修士号を得た。1991年から1995年までユダヤ的福音伝道に関するローザンヌ協議会のイスラエル側コーディネーターを務めた。彼はイスラエルのテレビ番組にもメシアニック運動の代表者として数回出演した。海外にも広範囲に出掛け、コングリゲーションを訪ね教えている。

女性と指導:牧師、或は、長老にはなれないが補佐役にはなれる。又、他の女性とか子供達を教える事はできる。

会員制:1998年現在、ロエ・イスラエルは60名の会員がいる。この数字には40名の子供達は含まれない。会員名簿もあるが、これは主としてコングリゲーションをアムターとして登録する目的で作った。

成人会員の構成:
区分 人数
ユダヤ人 40
ユダヤ人の配偶者を持つ非ユダヤ人
イスラエル市民権を持つ非ユダヤ人
(うち1名はアラブ・パレスチナ人)
イスラエル市民権を持たない非ユダヤ人 10

過去15年間における会員数の変化:1993年には40名であった。その後増加もあったが同時に家族でコングリゲーションを去った人もある。その中にはリーダー格の人もいた。国外に出た人も何人かある。新しい会員の中には移住してきた人々で非ロシヤ人が大多数である。それ以外の人々はコングリゲーションで信仰に入った人達である。

毎週の礼拝・集会とその他の定期的活動:毎週、日曜日午後5時半から礼拝がある。第2土曜日には、午前10時から礼拝がもたれる。

参加者:平均して100名。うち30名は子供。

礼拝の概要:土曜日の礼拝は儀式的である。伝統的な式次第の主な要素を取り入れたシナゴーグ礼拝の概要に沿っている。聖書朗読には新約聖書からの平行朗読も含まれる。週毎のトーラー割当て部分と預言書の部分の両方が読まれる。説教者によって説教は時局的なものもあるし解説的なものもあるが一般的にはトーラーの週割当て部分の内容に従う。30分程度の説教である。日曜日の午後は、聖書研究、話し合いなどを持つ。又、正式な食事ではないが聖餐式も持たれる。

礼拝の言語:ヘブライ語が使われ、英語への通訳がある。

聖餐式:会衆は、日曜礼拝の時にパンをさく式に参加する。パンと葡萄酒を前にして伝統的なユダヤの祝福の祈りが一つずつ朗唱される毎に伝統的な形式で祈祷が捧げられる。これはイエスとパウロがパンと葡萄酒の事について語っている意味を認識する為である。(コリント前書11章)土曜礼拝は「メシア・イェシュアを記念するキドウシュ」でしめくくられる。これにも上記の祈祷が使用される。最初に葡萄酒、次いでパンに対して祝福が終った後、会衆の交わりの食事が持たれる。これに参加する為には受洗を勧める。

女性の役割:トーラー朗読は開かれていない。祈ったり、日曜日の勉強会のときにディスカッションに参加したりは出来る。

子供向けクラス:礼拝中に三つの子供クラスが開かれる。

その他の定期的活動:火曜日に婦人会の会合がある。またメンバーの各人が伝道活動に関わっている。メシアニック大学によりもたれるクラスに多数の女性が参加する。

他の会衆との協力関係:他のグループとの協力に対してはオープンである。他のクループから年間4〜5回、ゲストスピーカーを招待したり、またリーダーも一般会員も全国的に組織されたイベントなどに参加している。

財務状況:十一献金は神殿時代に属するものと見ているので強制ではないが、会員は献金をするよう奨励されている。集会所に置いてある献金箱に献金する。牧師は給料の20%は会衆から、残り80%はネティブヤの会長としての役職報酬から支払われる。秘書の給料も会衆が負担する。
これまでに以下の団体に対して献金をしている。

National Evangelistic Committee,
Pro-Life, Light to the Nations, Ebenezer Home他。
1998年10月18日、ヨセフ・シュラムよりインタビュー

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