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ファタハ
Fatah イスラム過激派で、パレスチナ解放機構(PLO)の中心的グループ。オスロ合意を受け入れ、イスラエルとの共存を目指す路線を選択した。指導者のアラファト議長の死後、アッバス議長が引継いでいる。
アッバス
Mohammad Abbas 2003年、自治政府の首相に指名されたファタハの有力者。モハメド・アッバース、あるいはアブ・マゼンという名前もある。アラファト議長の後継者として自治政府を指導。アルアクサ殉教団
Al-Aksa Martyr's Brigarde 2002年ごろから表面に出てきたファタハ系の組織で、積極的なテロ作戦で民衆の支持を集めた。2006年にハマスが総選挙で勝利するとふぁたは系のアルアクサ殉教団とハマスの間でも軍事衝突が起こった。しかし2007年に武装解除を行いイスラエルに対するテロ攻撃をやめると自治政府に伝えた。しかしガザ側の殉教団は応じずハマスとともにイスラエルに対する軍事的抗戦という立場を崩していない。黒い九月
Black September イスラム過激派組織の名前で、ファタハの別名とも言われる。自治政府
PA Palestinian Authority パレスチナ自治政府。オスロ合意にもとづく自治により設置された。統一国家としての独立を目指して法律や組織を準備していたが、2007年にパレスチナはハマス・ガザとファタハ・西岸地区に分裂した。2012年11月国連によりオブザーバー組織からオブザーバー国家に格上げされた。タンジーム
Tanzim ファタハの武装部門の名前。2000年秋からの「アルアクサ・インティファーダ」に主導的な役割を果たし、急に注目を集めた。ハニエ
(ハニヤ)イスマイル・ハニエ ハマスのガザ指導者でありガザ政府首相(1963年生)。2007年まではパレスチナ統一政府の首相を務めたが、2007年のハマス・ファタハの抗争により解任されガザ・ハマスの首相となった。就任時に「これ以上血を流す事は望まない」と演説するなど、ハマスの中では穏健派とされる。バルグティー
Marwan Barghouti ファタハ指導者で元々は穏健派としてアラファト議長と対立関係にあった。しかし第2次インティファーダで中心的な指揮官となり、イスラエルに対する数々のテロを指揮し過激派となった。2002年4月に逮捕されイスラエルの裁判で終身刑の判決を受け現在収監中。穏健派だった過去からバルグティーをパレスチナの重要な交渉相手として、釈放するべきだという声もイスラエル左派内には根強くある。そのためバグルティーと親交のあるユダヤ系大物政治家も多い。
【年表】
1956年 アラファトら「ファタハ」を結成。
1965年 ファタハが対イスラエル武装抵抗運動を開始(1月)。
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