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撤退

イスラエルは西岸地区を占領した状態にあるため、土地の返還と言わず「撤退」という用語を使う。しかし、行政権と警察権が分かれているため、C地区B地区A地区との順序で撤退が行われる。オスロ合意以来、何度かの合意にもとづき、順次撤退が行われている。 ガザからは2005年に完全撤退が行なわれた。

SLA
South Lebanese Army 南レバノン軍の略称こと。イスラエルのレバノン侵攻時にイスラエル側についたキリスト教民兵組織だが、2000年5月のレバノン撤退時に壊滅した。
一方的分離
シャロン首相が2004年に提唱した計画。ガザ全体と西岸地区の一部の入植地を撤去して壁を建設し、自治区とイスラエル領の分離を図るという内容。入植地に固執する右派から激しい抵抗運動が起こり、5月のリクード党員投票で否決されたが、2005年夏にガザからの撤退が強行された。
国連決議
UN Resolution 1967年の六日間戦争後に占領地からの撤退を求める国連決議242号がなされたが、アラブ諸国は拒否。さらに1973年のヨム・キプール戦争後には停戦を求める国連決議338号がなされた。
シャルム合意
(シャーム合意) 1999年9月にエジプトでなされた合意。バラク首相とアラファト議長、オルブライト国務長官、ムバラク大統領らがが出席して調印式が行われた。ネタニヤフ政権下で全く進展しなかったワイ合意を実施するための合意で「新ワイ合意」とも言われる。3回に分けて撤退を行うことなどが決まった。
フィラデルフィ回廊
Philadelphi Corridor エジプトとガザ間にイスラエルが確保していた狭い区域。2005年夏の一方的分離(ガザ撤退)で放棄された。以前からエジプトとの間に武器密輸トンネルが掘られており、衝突が絶えなかったが、ガザ撤退後はトンネルが激増した。
武器密輸トンネル
ハマス政府やイスラム過激派によって建設されたガザ・イスラエル間のトンネル。2005年のガザ撤退以降に急増し、約60本ほどが通っており密輸の他にテロリストの密入国などに利用されている。2014年のガザ作戦(不動の絶壁作戦)ではUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)からの資材がトンネル建設に転用されていた事なども発覚した。
南レバノン軍
SLA)South Lebanese Army レバノンに住むマロン派キリスト教徒から構成されている民兵組織。レバノン内戦の際にイスラエル軍の協力者となって以来、実際にはイスラエル国防軍と一体化していた。2000年のレバノン撤退により壊滅し、一部はイスラエル市民となった。
レバノン戦争
1996年のレバノン侵攻の後、イスラエルはしばらくレバノン南部を占領していたが、2000年5月にレバノンを撤退。その後、2006年7月にヒズボラが越境攻撃を行なったことをきっかけに発生した戦争を「第二次レバノン戦争」と言う。第一次レバノン戦争と言う言葉は無い。
ワイ合意
Wye Agreement (ワイエ合意)1998年12月に米国でなされた合意。ネタニヤフ首相、アラファト議長に加えて病気で余命いくばくも無かったヨルダンのフセイン国王も参加し、撤退などについて合意がなされた。

【年表】

1967年 占領地からの撤退を求める国連決議242号を採択(11・22)

1978年 米・イスラエル・エジプトがキャンプ・デービッド合意、イスラエル軍のシナイ半島撤退など決める(9〜7)。

1982年 イスラエル軍、シナイ半島から撤退完了(4月)

1985年 イスラエル、安全保障地帯を残し南部レバノンから段階的に撤退(6月)。

1994年 アラファト議長とペレス外相は、オスロ合意にもとづき、ガザ・エリコ地区からのイスラエル軍撤退などについての合意文書に仮調印(2・9)

1995年 西岸地区主要都市部からのイスラエル軍撤退とパレスチナ自治評議会選挙の実施などを決めた、自治拡大協定「オスロ2」にワシントンで調印(9・28)

1995年 「オスロ2」にもとづき、イスラエル軍が西岸の都市から撤退を開始(10・24)

1995年 イスラエル軍が撤退したベツレヘムで、アラファト議長がクリスマスミサに出席(12・24)

1997年 ヘブロン市域の約80%からのイスラエル軍の撤退を含む「ヘブロン協定」が成立(1・17)

1998年 クリントン米大統領はネタニヤフ首相、アラファト議長とそれぞれ会談。オスロ2にもとづく撤退実施が焦点となったが、大統領提案の12〜13%に対しネタニヤフ首相は9.5%以下、パレスチナ側は約3割以上を求めたため決裂(1月下旬)

1998年 米国のゴア副大統領がイスラエルを訪問し、撤退合意を仲介。建国50周年式典にも出席した。(4月)

1998年 中東和平交渉の再開に向け、西岸地区からのイスラエル軍の追加撤退問題について米国が新たな調停案を出したがイスラエルは受け入れを拒否。ワシントンでの首脳会議は実現せず(5・10)

1998年 占領地からの13%の追加撤退提案を、パレスチナもイスラエルも評価。和平交渉が再開へ。(8・25)

1998年 追加撤退の交渉のため、米国特使がイスラエルへ。(9・10)

2000年 エフド・バラク首相により南レバノンからイスラエル国防軍が撤退(5.24)

2005年 ガザ地区からの撤退計画に抗議し、ベニヤミン・ネタニヤフが財務相を辞任。(8.7)

2005年 全入植地の撤収が終わり、ガザ地区撤退が完了する。21の入植地から計8000人のユダヤ人がガザから撤退した。(9.12)




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