Netivyah Bible Instruction Ministry

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ネティブヤ本部
(イスラエル)

ネティブヤは、エルサレムにあるメシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)によるミニストリーです。
詳しくは、ネティブヤ日本支部ホームページをご覧下さい。

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シオンとの架け橋

安息日メッセージ

本原稿は、2003年6月28日(土)にエルサレムで開催されたUMJC大会での、ヨセフ・シュラム師の安息日メッセージを和訳したものです。
シナゴグでは、安息日ごとに聖書の朗読箇所が決まっています。これをパラシャ、又はトーラーポーションと言います。この大会の日に朗読されたのは、以下の2箇所でした。

【トーラー:民数記 16:1 - 18:32】
 レビ族のコラなど250人が結束してモーセとアロンに反逆し、権限の委譲を要求した。モーセは反逆した人々に対して、火を携えて主の前に出るように提案した。彼らが出てくると主の栄光が現れ、主の怒りがコラとその一味に臨んだ。モーセが主に祈ると、地面が開いてコラとその一味は生きながら黄泉に落ちた。これを見たイスラエルの会衆はモーセを非難し、「あなたは主の民を殺した」と言った。神の怒りがイスラエル全会衆の上に臨み、疫病で人が死んだが、モーセとアロンの贖いにより民は救われた。恐れる民の前で主の業により、モーセとアロンによる祭司制が確立された。

【ハフトーラー:サムエル記上 11:14 - 12:22】
 サウル王の指揮により、イスラエルの民がアンモン人に対して勝利を治めた後、祝勝ムードの中で預言者サムエルはサウル王に油を注ぎ、王権を確立する。しかしサムエルは「他の民と同じが良い」と国王を求めた民の罪を指摘し、神の怒りが雷によって示された。民は恐れるが、サムエルは「恐れずに主に従えば、捨てられることはない」と民を教える。
(ハフトーラーとは、トーラー本文に関連する箇所として、同時に朗読される預言書の箇所です。)


UMJC大会・安息日メッセージ
ヨセフ・シュラム

 多くのイスラエルの兄弟姉妹たちを代表しまして、私の気持ちを申し上げたいと思います。今まで多くの国際会議がイスラエルで開かれましたが、このようにトーラー礼拝が行われ、ユダヤ性がはっきり表現された集会はありませんでした。このような集会であれば、ユダヤ人も非ユダヤ人もイェシュアの弟子として自分たちの信仰を表現することができます。
 ところで、今朝の私の説教には事務局から多くの注文がつけられています。第一は、20分以内で説教を終わらせること。第二には、ポジティブな、積極的な話をしてほしいという注文です。今日取り上げる通称「コラフ」という箇所は、今、朗読していただいたとおりの暗い内容です。ここでポジティブな説教をするのは大変難しい注文です。ネガティブな話をしようというのなら、これほどうってつけの話はありませんが、ここでポジティブな話をするのはどうすればいいかと悩み、私は今日のために幾晩も祈ってきました。(笑)

■選択の余地をお与えになるのが神のやり方

 さて、トーラーの全体は私たちの前に選択の余地を与えているものだと言うことができます。今日取り上げるトーラーの箇所「コラフ」も、また、それに対応するハフトーラーの箇所でもイスラエルの人々は選択をしています。イェシュアの少し前に生き、ユダヤ教に大きな影響を与えた賢人ヒレルは、アロンの弟子になるべきだと、人々に教えました。アロンは人々を愛し、平和を求めました。それは、彼らをトーラーの道に導くためでした。その意味で、アロンは現在の福音派と同じような考え方を持っていたと言えるでしょう。
 今日取り上げる「コラフ」では、神の大きな恵みの力を見ることができます。「私の道に従って歩むなら、この世でも来るべき世でも祝福を与える」と、神は言われます。しかし、人々が主の道に従って歩まず、自分たちの道によって歩みたいと言うなら、「それもよいだろう、やってみなさい」と神は言われるのです。そして神は、地面が開いて反逆者たちが飲み込まれるという、驚くべき御業をなさいました。

■コラたちの要求は自由と平等だった

 コラの一味が主張していたことは何でしょうか。彼らの言葉を読んでみましょう。
民 16:3 彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らって言った、「あなたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つのですか」
 彼らの言うことは非常に筋が通っています。神は、すべてのイスラエルの人々を聖なるものとして選ばれたわけです。ついでに言うと、そのオリブの本木に接がれた異邦人の信徒もまた聖なる人々です。ユダヤ人たちは、すべてエジプトから出て、シナイ山の下に立ちました。すべての人が平等だったのです。現在の私たちも、自由、平等、博愛という価値観を持っていますが、これはフランス革命によって提唱されました。アメリカもこの理想により建国されています。ところがアメリカでは今、みんなが急にフランス嫌いになっていて、フレンチフライのことを「フリーダムフライ」等と言っておりますが、それでもアメリカ人は、自由や平等まで嫌いになったわけではありません。
 コラの一味の言っているのは、モーセとアロンだけが決定権を持つのではなく、みんなが平等に意思決定に参加しなければいけない、と言うことです。これは筋の通った話です。確かに、モーセとアロンたちは人々に約束した「乳と密の流れる地」に、人々をなかなか導くことができませんでした。ダタンとアビラムは、乳と密の流れる地であるエジプトから人々を砂漠に導いて殺したと、民数記16章13節でモーセに皮肉を言っています。だから「あなたの言うことはみんなうそだ」と、コラたちはモーセに迫り、指導者の交代を求めています。コラたちの言うことは十分に筋が通っているのです。

■神の選びは人間の心に逆らう

 しかし、それでもモーセとアロンが選ばれたのは神の選びによるものだったのです。神は、モーセとアロンに対してご自身を啓示し、民を指導する能力をお与えになったのでした。そして、それから何百年もたって、ハフトーラーの箇所でもイスラエルの人々はやはり同じことをサムエルに言っています。イスラエルの苦情は筋が通っているのです。しかし、彼らの求める道は神の選ばれた道ではありませんでした。サムエルのところにやってきて、イスラエルの指導者たちは、他の民と同様に王を立ててほしいと言いました。サムエルの子供たちが神の道に従って歩んでいなかったからです。だから、他の国民たちと同じように、国王が欲しい、と訴えたのです。「他の民族と同じようになりたい」と、彼らは言ったのです。
 しかし、神はイスラエルの指導者たちの言うことを聞き、その通りのものをお与えになりました。神は、イスラエルの指導者たちの言うことが正しくないことを知りつつ、そのようにされたのでした。神と言えどもユダヤ人と議論をして勝つのは難しかったのでしょうか。(笑)だから、神は、彼ら自身の言う通りにさせて、その結果を味わわせるようになさったのです。長い歴史の間、すべてのユダヤ人たちは「異邦人と同じようになりたい」と思い続けてきました。そして、自分たちの思いに従って神の恵みをいつも無視してきたのです。

■ユダヤ人がイェシュアをメシアと認めない理由は十分にある

 これが、イザヤ書53章に「だれが私たちを信じたか」と書かれている通りです。神の選ばれた方を私たちユダヤ人は拒否してしまったのです。確かに、ユダヤ人たちがイェシュアを救い主として受入れない理由は、数多くありました。皆さんは、せいぜい5つぐらいしか理由が挙げられないかもしれませんが、私はそれよりももっと多くの理由をあげてイェシュアがメシアでないことを説明できます。ユダヤ人たちがイェシュアを拒否してきたのには、十分な理由があったのです。第一にクリスチャンたちが長い間、イェシュアの名によってユダヤ人を迫害してきた、ということだけでも、イェシュアを拒否する十分な理由になるでしょう。
 しかし、神が与えようとしておられる霊的な賜物を受け取ろうとすれば、一般の人とは違うものの考え方をしなければなりません。一般の人とは違う生き方をし、時には変人だと思われる必要さえもあるのです。ユダヤ人としてイェシュアを信じるということは、ある意味では狂人になることです。イスラエルにおいて、イェシュアを信じる人は、キリスト教から十分なお金をもらうか、頭がおかしいかのどちらかだというのが一般的な常識です。普通の人間ではイェシュアは信じられないのです。

■最終的には神が人に勝つ

 今日朗読される「コラフ」では、重要なことがわかります。それは、人間と神とが争う場合、必ず神が最終的には勝つということです。神は、サムエルの時代のように、人々が求めているものを、そのまま、お与えになる場合があります。しかし、そのような場合でさえも、最終的には神が勝利を治められるのです。
 さて、サムエル記上12章3節にある、預言者サムエルの言葉を読んでみましょう。「わたしが、だれの牛を取ったか。だれのろばを取ったか。だれを欺いたか。だれをしえたげたか。だれの手から、まいないを取って、自分の目をくらましたか。」サムエルは人々に怒っています。彼は、自分が預言者としての責任を果した、と自己弁護をしているのです。そして、サムエルは預言者としての責任を果たし、サウルに油を注ぎ、祝福しました。サムエルは3回にわたり、サウルに油を注いでいます。1回目はレマで、2回目はミツパで、3回目には今日の箇所、ギルガルで人々の前で油を注ぎました。そして、サムエルはイスラエルの十二氏族も祝福しています。このように、神は、イスラエルの民を決して捨てられることはありません。彼らが神の言うことを聞かず、自分の道を歩んだとしても、最終的に神は彼らを祝福されるのです。神は、イスラエルの人々が望んだように、血肉を持った人間の王を彼らにお与えになりましたが、それでも神は、イスラエルの人々を見捨てられませんでした。

■いくら反逆しても神がイスラエルを捨てない理由は?

 なぜ神はイスラエルの民を捨てられないのでしょうか。それは、神の偉大な御名のためなのです。皆さんが今日、イスラエルの地で目にされるすべてのもの、すべての繁栄と栄光は、神ご自身の偉大な御名のための証しとして置かれているのです。ユダヤ人が賢いから、優れているから、このような、奇跡の復興が成就したわけではありません。イスラエルの軍隊が強かったからでもなく、130ヶ国から移民が集まって来たからでもないのです。神の偉大な御名のために、神ご自身がこれをなされたのであって、私たちの功績によるものではありません。私たちユダヤ人は、これらの繁栄にふさわしくないものです。私たちが与えられている敵意に満ちた隣人たちは、私たちにふさわしいものかもしれません。しかし、今日私たちが目にしているイスラエルの素晴らしい栄光は、すべて神ご自身の御名の栄光のためなのです。
 エゼキエルはこれについて、エゼキエル書36章ではっきりと言っています。
エゼ 36:21 しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
エゼ 36:22 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、わが聖なる名のためである。
 イスラエルの義のためではなく、神の「聖なる御名」のために、すべての諸国民の前でこの御業をされると。今日この会場には、イスラエルのユダヤ人ビリーバーも、アメリカのビリーバーも、そして、日本人やブラジル人など、異邦人ビリーバーも集まり、ひとつになって礼拝しています。この、パートナーシップは決して私たちの義によって成就されたことではなく、神ご自身の御名の栄光を現されるために、神ご自身が成就されたことなのです。
 私たちは、しばしば神の御心に逆らった判断をしてしまいます。トーラーに逆らった生き方をしてしまうのです。しかし、たとえそうであっても神の恵みというものはそれに勝って表されるのです。サムエルはこのように言っています。
サム上 12:22 主は、その大いなる名のゆえに、その民を捨てられないであろう。主が、あなたがたを自分の民とすることを良しとされるからである。
 ここに書かれた通り、神はご自身の御名のために、イスラエルの民を決して捨てられることはないのです。私たちが信仰を落としてしまって、2000年の間、離散の目にあっても、私たちはまだ神の民であり続けるのです。それは、神ご自身が約束されたからです。アブラハム、イサク、ヤコブに、モーセ、ダビデ、そしてイェシュアを通して約束されたからです。その成就として私たちは今日、この約束の地に帰ってきて住んでいるのです。世界の各地に住んでいるユダヤ人の皆さんに申し上げたいと思います。どうか、この約束の地にアリヤー(帰還)し、ここに住んでください。そして、この土地を現象的に再建するだけでなく、霊的に復興するという仕事を助けていただきたいのです。それはすべて、神の大いなる御名のためなのです。

■人間の作ったシステムは神に反逆する

 さて、ひとつだけネガティブなことも申し上げておかなければなりません。神の道を選ばなかったイスラエルの指導者の要求によって立てられたのが王制だったということです。王制はその後、長く続き、その腐敗によって最終的に私たちの祖先は約束の地から1回目の追放を経験しました。ヤラベアムやアハブのように、南北両王朝はイスラエルを罪に導いたのです。北王国も、南王国も、それぞれの王がみな神に逆らいました。そして、国王というシステムが、イスラエルの人々を結局はバビロン捕囚に追いやってしまったのでした。そして、2回目の追放も王制に関係しています。今度はイスラエルの人々は「ユダヤ人の王」として来られた真の王、イェシュアを拒否しました。そして、神の国の支配を受けようとしなかったのです。こうしてユダヤ人たちは2度も離散を経験することになりました。
 今日、私たちはこの大会で一緒に集っています。これはすばらしいことですが、まだ始まりに過ぎません。アメリカや全世界にいる大勢の離散ユダヤ人たち、正統派、保守派、改革派のユダヤ教の人々が、約束の地に現実的な形で帰還し、さらに霊的にも神の元に帰り、イスラエルが復興され、御名の栄光が現されるという、すばらしい御業のほんの始まりの一歩なのです。
 どうか神が私たちを守り、コラたちのような間違いをせず、反逆をしないように導いて下さいますように。私たちに知恵を与えて下さいますように。そして、私たちの運動全体と、それに参加する個人に神が働いて下さって、正しく神の道を選ぶことができるようにしてくださいますように。人間的に考えて、一見、筋が通っているように見えながら神に反逆する理屈に惑わされることがありませんように。そして、私たちが神に従う力を与えられますように。

 イェシュアの名によって皆さんを祝福致します。

(完)



 


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