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ペサハとイースターのルーツを探る 2018.3.16

双方の起源になっているエルサレム神殿でのペサハの様子

atzuma.co.il より)


さて、あと半月ほどでイスラエルではユダヤ教で最も大切なペサハ(過ぎ越しの祭り/פסח)がやってきます。そしてユダヤ人が7日間の祭りを祝っている間に、クリスチャンたちも1年で最も神聖な祭りであるイースター(復活祭)を祝う事になります。日本ではイースターという英語名の方で浸透していますが、世界的にはギリシャ・ラテン語の「パスハ」という名前で知られ、祝われています。
さてこのペサハとパスハ(イースター)、その名前からも分かるようにもともとはユダヤ教のペサハという1つの祭りでした。ダ・ヴィンチで有名な最後の晩餐はペサハ第1日目の夕食(セデル=סדר)ですし、イエスや使徒たちはパスハではなくユダヤ人としてペサハを祝っていたのです。しかし最後の晩餐後、ペサハの期間中にイエスが十字架に掛かり復活したため、後に発展したキリスト教はキリストの十字架と復活を記念した「パスハ(Pascha)」を祝い始め、全く違う2つの祭りとしての道を歩み始めました。
現在は名前以外に共通点すら見つける事が難しいペサハとパスハですが、お互いの祭りが確立されていく過程やそのルーツにも興味深い共通点がいくつか見られます。今回のバラガンコラムでは、その知られざる類似点についてご紹介したいと思います。


■ パスハ(イースター)とペサハは同じ日だった―

現存するパスハ(イースター)を祝ったという最古の記録は、2世紀中頃のサルディス(現トルコ)司教だったメリトが残したパスハに関する説教集です。それによるとパスハは(ヨハネによる福音書とパウロ書簡を基にして)キリストの磔刑があったとされる、ユダヤ暦ニサンの月の14日の夜に祝われていた事が分かります。ユダヤ暦では日付が変わるのは夜中零時ではなく日没だったため14日の夜とはニサンの15日、つまりペサハの1日目セデルの食事がちょうど始まる時になります。なので2世紀には同じ日の晩に、ユダヤ人はペサハを、そしてキリスト教徒はパスハを祝っていたのです。
このパスハをユダヤ暦に則って祝う一派はイスラエルや小アジアを中心に存在したのですが、ローマを中心とした西方の教父たちから非難され、ニケア公会議までには「パスハ=復活をした春分後の最初の満月の次の日曜日」と主張するローマ派が正統な立場になりました。そしてニサンの14日、ペサハと同時にパスハを祝う一派は異端と見なされ、次第に衰退し4世紀の末には姿を消したと考えられています。
パスハをペサハと同じ日に祝う一派が異端とされた正式な理由は、パスハは磔刑ではなく復活を記念するもの、という神学的な理由になっています。しかし彼らが異端としてキリスト教のコミュニティーから追放された裏には、「ユダヤ的なルーツを排除しペサハからの差別化を図りたかった」という内情ももちろん考えられるでしょう。
しかし「キリスト教史上最初のパスハ/イースター」がペサハと同じ、同じニサンの14日夜(=15日)に祝われていたというのは、面白い事実です。


■ 古代の文献に見られる相違点に隠された類似点―

サルディスの古代シナゴグと司教メリト。当時は2つの祭りが同時に祝われていた。

wikipedia.org alchetron.comより)

さて、イエスと使徒たちの最後の晩餐が、ペサハの夕食であるセデルを記録した最古の文献資料の1つだというのは、学者の間でも一般的に認められています。そして現在セデルに使われている式次第「ハガダー(הגדה)」にはセデルの起源が以下のように解説されています。


ラビ・エリエゼル、ラビ・ヨシュア、アザリヤの子ラビ・エルアザル、ラビ・アキバ、そしてラビ・タルフォンはブネイ・ブラクでもたれながら座り、出エジプトの話を一晩中、彼らの弟子たちが来てこう言うまで続けた。「先生、朝の祈りシェマ(聞けイスラエル)の時間が来ました」


ハガダーのこの一節は2世紀後半に編纂されたラビ文献トセフタをモデルにしたもの。その元となったトセフタでは舞台の街や話し合いの内容に違いが見られますが、4人のラビがペサハに関する議論を、朝方『鶏が鳴くまで』続けたと書かれています。
さて、ペサハから今度はパスハに目を向けてみましょう。メリトと同時期の2世紀後半に書かれた新約聖書外典「使徒たちの書簡(Epistula Apostolorum)」には、パスハのルーツについてこのようなストーリーがあります。(以下訳ではなく概略)


イエスは使徒たちの前に現れ、ペサハを「主の受難と死を記念するために」祝うよう彼らに命じた。そして1つの預言をした:祭りの前、使徒の1人が信仰を理由に逮捕され他の使徒たちとペサハを祝えなくなる。しかしイエスが天使を獄に送りその使徒を獄中から救い出し、ペサハを一緒に祝えるようにする。そして使徒たちは全員が揃い受難と十字架について明け方まで語り合うが、『鶏が鳴く』と獄に入れられていた使徒は獄中へと戻されるだろう。


ここでは使徒たちがペサハを祝うというユダヤ的な面が残ってはいますが、出エジプトではなく「イエスの受難と死」を記念するという解釈によって元々のペサハの意味が無くなり、ユダヤ教のペサハがキリスト教のパスハ(イースター)へと変化する過渡段階を見る事ができます。
しかしその一方、お互いのルーツとなる資料の中に明確な類似点を見る事ができる点は見逃せません。各々が出エジプト(ラビたち)/受難・十字架(使徒たち)という、自分たちのアイデンティティーの根幹となる出来事・記憶について一晩中語り合う、という設定は同じですし、朝に鶏が鳴くのを合図にラビは朝の祈りに、そして使徒は獄内へと戻っていったというエピソードの終わり方にも同じエッセンスを感じる事ができます。

5人のラビが集まったペサハ(左)と、使徒たちが集まった「新しいペサハ(後のパスハ)」

haaretz.com より)


■ 結論

もちろん前述したように2世紀の段階でキリスト教はユダヤ的要素の排除を行い、ユダヤ教も差別化を行い、ユダヤ・キリスト教が分離・敵対の道を進み始めていたことは事実です。その証拠にメリトもパスハに関する説教集の中で、ユダヤ民族批判を展開していますし、ハガダーの中には「反キリスト教」と解釈できる箇所を見る事も出来ます。
しかしその一方、ペサハ・パスハという2つの祭りが分裂の道を進んでいくなかにも、明らかな共通点やお互いを意識し影響された要素が見られるのもまた興味深い事実なのです。 あるユダヤ人学者はこう語っています。
「ユダヤ教とキリスト教は母と娘の関係ではなく、姉妹の関係だ。お互いが同じ母親(旧約聖書)から生まれたが、あらゆる面で反発し合いながら育っていった。しかしどうもがいても姉妹であるという事実からは逃げられない。いくら互いを嫌い正反対の性格になったとしてもだ。同じことがユダヤ教とキリスト教には言えるだろう。ユダヤ教の陰にはキリスト教が、そしてキリスト教の陰にはユダヤ教が常にあるのだ。」
ユダヤ教のペサハとキリスト教のパスハ/イースターのルーツにも、同じことが言えるのかも知れません。


「バラガン」とはごちゃごちゃや散らかったという意味のイスラエルで最もポピュラーなスラングです。ここでは現地在住7年のシオンとの架け橋スタッフが、様々な分野での最新イスラエル・トピックをお届けします。



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