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ホロコーストとジョーク?! 2020.3.20

theriver.jp より)

第92回アカデミー賞脚色賞を受賞した映画「ジョジョ・ラビット」をご覧になられたでしょうか?第2次大戦下のドイツを舞台に、ヒトラーを空想上の親友とするドイツ人少年ジョジョと、匿われたユダヤ人少女との交流をユーモラスに描いた同作。映画を観た方の多くは、「ホロコーストをコミカルに描くってアリなの?」と疑問を持たれたかもしれません。そこで今回は、イスラエル社会におけるホロコースト・ジョークの歴史と受容について紹介します。 (ジョジョ・ラビットに関しては前回のコラムで詳しく取り上げています。)

foxmovies-jp.com より)


イスラエル社会にとってホロコーストは、80年前の遠く離れたドイツ・ポーランドで起こった過去の歴史ではなく、現在進行形で生き続けているトラウマです。


「ホロコーストは、私達の腕に入れ墨*として刻まれている。この入れ墨には千を超える顔があり、収容所の壁からいくら時間が離れようが、その針は一瞬たりとも刻む事を止めない」
イスラエルを代表する詩人、ロニ・ソメック―
* 収容所へ入所する時、被収容者たちの腕には識別番号が入れ墨された。


「ホロコーストを笑いに変える事」は半世紀近くの間、絶対的なタブーとされてきました。しかし1997年のホロコースト追悼日、ネット上で若者たちがホロコーストに関するジョークを書き込む事件が起こります。「ジョークはユダヤ人が誇る遺産、現代に合った向き合い方のひとつでは」という少数意見も聞かれたものの、非難が殺到。この小さな炎上がターニングポイントとなり、ホロコースト・ジョークが生まれていきました。偶然にも同時期に、ナチス支配下でユダヤ人たちがどのように絶望的な状況を笑いに昇華していたか、という学術的研究が行われ始めたのは、興味深い事実です。
そんなホロコーストとユーモア・ジョークという、一見相反する両者の関係性が着目され始めた時期に、テレビが風刺コメディー番組としてホロコーストを笑いへ昇華することに取り組み始めます。その先駆けが、「5人組の室内楽(Hahamishia Hakamerit)」です。


スキット「ゲットー」

Youtube より)


戦後50年、現代のテルアビブの路上にて。若者2人が会話している。
パーティーへの道順を尋ねられ、答える若者
若者A:車かぁ?じゃぁ、ワルシャワ・ゲットー通りをしばらく直進したら、その後Uターンして収容所大通りに入る。そこを進んだら、ダッハウ広場に駐車スペースがあるはずさ。
若者B:ダッハウかぁ。遠くないか?
通りの名前など気にするそぶりも見せない2人の若者。


50年以上経った今でもゲットーや収容所の名前などが街に溢れ、まるでホロコースト時代を生きているかのようだ、とイスラエルを自虐的に笑った寸劇です。しかしこの短いシーンは、国民の多くに「ホロコーストに捉われすぎて、今を生きられていないのでは?」という、考えた事もない疑問を突きつけることになりました。心理学的にも、イスラエルが持つ深刻な社会問題を浮き彫りにしたスキットでした。歴史の事実を風化させまいと、国を挙げた数々の取り組みの結果、実際には体験していないはずの世代の多くがホロコーストによる二次的外傷性ストレスに悩まされているのです。言い換えれば、イスラエルは未だホロコーストを心理的に克服していないのです。「(ホロコースト)二世」や「三世」という言葉が、生存者の子供や孫だけでなく、イスラエル人全体を指す言葉として一般化している現象からも、イスラエルが抱えている傷の深さを物語っています。過去と現在の混同は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の代表的症状。同番組の作家たちは、これらのPTSDに苦しむイスラエル社会の現状を、風刺・笑いと共に指摘したのです。
自虐やブラック・ジョークを活力にトラウマを克服するのは、ユダヤ民族のお家芸。ここから同番組は、題材としてのホロコーストを意識的に取り入れていくのです。


スキット「オリンピック」

Youtube より)

95年シュトゥットガルト・オリンピック。ハードル走の号砲直前、トラックを横切って入ってきた2人のユダヤ人がドイツ人のスターターに絡む。
他の選手と比べて圧倒的に小柄なイスラエル人選手は小さい。

(同上)

ユダヤ人2人が「どうせイスラエル人選手が最下位になるのだから、数メートル手前からスタートさせてくれよ」と交渉を始めるも、表情一つ変えず取り付く島もないスターター。すると彼らは・・・
ユダヤ人A:客席には彼の母親が来ています。勇敢な母親で壮絶な過去(ホロコースト)を生き抜き、ここまで息子の晴れ舞台を観に来たのです。心打たれませんか…
ユダヤ人B(ヘルツェル似):私達は(あなたたちが行った)歴史的悪行を軽減するお手伝いをしたいだけなのです。

無視を貫くスターター。するとユダヤ人Bが激高。
ユダヤ人B:異邦人め、なんて石のような心*だ。まだ私達を辱める気か!?ユダヤ人が苦しみ足りてないとでも!?
(スターターのピストルを自分の首に突き付け)さぁ、やっちまえ!俺もユダヤ人だ!

(同上)

さすがに同情したドイツ人スターター、イスラエル人選手の数メートル手前からのスタートを許可。
ユダヤ人2人の態度は一変。

ユダヤ人A:後ほどあなたの詳細をお聞かせ下さい。エルサレムの義人通りに、貴方の木を植林したいので。
最後に追加のお願いをする。
ユダヤ人A:号砲前に、目で合図を送って頂けると助かります。彼も心の準備が出来ますから…
*出エジプト時のパロの心や、エゼキエル書の「石の心」からのモチーフ。


イスラエルのお笑い史に残る伝説となった、このコント。作家は日本語訳作品もあるエトガル・ケレット。ユダヤ人が、ホロコーストという過去をだしに中東訛りの英語で「フツパ(厚かましさ)」を遺憾なく発揮する、という自虐がベースになっています。ケレット氏は後にこのスキットを書いた経緯を語っています。当時、ある閣僚がイスラエルの政策を批判したヨーロッパ諸国に関して、「ホロコーストに加担したくせに批判するな」という趣旨のコメントを発表したのです。ケレットの両親はホロコースト生存者で、そのコメントを聞いて激高しました。自分達が身をもって体験した、ホロコーストが政治のツールとして利用されていると感じたからです。他の生存者からも同様の声がケレットの耳に入り、彼はこの寸劇を書き始めました。このスキットを生んだのは生存者の心の叫びであり、ホロコーストに対するケレットの真摯な姿勢だったのです。
多くのイスラエル人が爆笑し、「ユダヤ人は苦しみ足りていないとでも!?」というフレーズは、今も多くの場面で引用されるほど愛されています。現在と過去の混同という癒えないトラウマや、(主に政治的な)ツール化という、現代イスラエルの「ホロコースト問題」をコミカルかつ風刺の効いた形で、見事に示しているのです。

さて21世紀になるとホロコースト・ジョークが、コメディードラマでも見られるようになります。前述の風刺お笑い番組では、政治的利用やイスラエル人特有のフツパなメンタリティーを正当化するツールとして、ホロコーストがコミカルに描かれていましたが、ドラマでは違った角度からの切り口で扱われるようになります。イスラエルでの教育制度における、ホロコースト問題です。

以下は2016年から放送された、何をやってもうまくいかない20・30代の三姉妹を描いた、「成功者の姉妹たち(Ha’ahayot hamuzlahot sheli)」の一コマ。


スキット「ホロコースト追悼日」

Youtube より)

長女のオリートは高校教師で、凝り固まったイスラエル教育に風穴を開けたいと燃えている。そんなある日、ホロコースト追悼日がやってきた。彼女は「どれだけ酷い目に遭ったか」のみに着目したありきたりなものでなく、「ホロコーストから私達は何を学ぶべきか」についての授業を行う…

「ホロコーストから連想される言葉を言っていきましょう」とオリート。
生徒からは、600万人、ヒトラー、アウシュビッツなど、お決まりの言葉しか出てこない。そんななか1人の生徒が、「ナチスの獣」と、イスラエルでよく使われる表現を口にする。

「ナチスの獣と多くの人が言うけれど、本当にそうかしら?彼らは獣でも、モンスターでもなかったわ。彼らはあなた達、私達と同じ人間だった。分かるかしら?」 オリートは、独自の建設的ホロコースト教育を行おうとする。
生徒たちの表情はみるみる曇っていく。

「私達一人一人の中に、人種差別という形で、小さな『ナチスの獣』がいるのよ」
男子生徒がオリートに食って掛かる。
「いい加減にしろ!お前にはナチスの獣がいたとしたって、俺にはいねえんだよ!」

「もちろんあなたが、ちょび髭ナチスという事ではないわ。でも私達にもナチスになり得る可能性があるのよ。だから、今年の追悼式では1人1人が壇上に立ち、自分がナチス(人種差別的)だった瞬間を発表しましょう」

生徒たちは大反発。オリートの改革は頓挫したのであった…

(同上)

スタートアップなど豊かな発想力が強みのイスラエル人ですが、ことホロコーストに限っては、政府が決めたフォーマットの中でしか物事を考えられない現状を皮肉った脚本です。このシーンを分析したイスラエル人学者は、「国の教育によってホロコーストの記憶はクリシェと化してしまい、公式見解とは違う見方が一切出来なくなってしまっている。このシーンは多くのイスラエル人がそんな心理的牢獄に閉じ込められている事実を、ユーモアたっぷりに突き付けている」と論説しました。
忘れてはいけないのは、これらの風刺の効いたスキットが決してホロコーストを笑いものにしていないという点です。現に紹介したような作品を手掛けた多くの作家が、ホロコースト生存者の二世や三世。そしてホロコースト自体ではなく、イスラエル社会におけるホロコーストに関する記憶や利用のされ方にスポットが当たっている点も見逃せません。ホロコースト・ジョークを見て、冒涜と判断するのは早計です。ユダヤ・ジョークが数ある歴史上のトラウマからユダヤ民族を救ったように、ホロコースト・ジョークは真の意味でイスラエル社会がホロコーストを克服するための勇敢な試みなのです。

映画「ジョジョ・ラビット」公開後も、多くのイスラエル人が「犠牲者を近親に持つユダヤ人として、この映画を見るまで、ナチスを愛らしく思うとは夢にも思わなかった」と明かしています。ドラマの中で教師オリートが生徒たちに教えようとした「ナチスも同じ人間」という当たり前の事実を、ジョジョ・ラビットは多くのイスラエル人に笑いと共に伝えたようです。「映画を観、泣いて、笑った。しかし帰り道、誰もがナチスになり得るのだと恐ろしくなった」といった声も。映画を観た多くのイスラエル人が少しの間、ホロコーストという心理的牢獄から解放されたのかも知れません。
イスラエルが今後、どのようにホロコーストを笑いで克服していくのか―
ユダヤ人の笑いのセンスに大いに期待しつつ、注目したいと思います。


「バラガン」とはごちゃごちゃや散らかったという意味のイスラエルで最もポピュラーなスラングです。ここでは現地在住7年のシオンとの架け橋スタッフが、様々な分野での最新イスラエル・トピックをお届けします。


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