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コロナ渦中のホロコースト追悼日 2020.4.28

wikimedia.org より)

今年も4月20日から21日にかけて、ホロコースト追悼日でした。前回のコラムでも紹介しましたが、ホロコーストが現在進行形で生き続ける国イスラエル・・・コロナウイルスの影響は、今年の追悼日をいつもとは違うものにしました。


公式行事のない追悼日

左:毎年の公式行事の賑わい 右:今年、2020年の同じ会場
mako.co.ilnews.walla.co.ilより)


イスラエル72年の歴史で、公式の式典や行事が無かったホロコースト追悼日は初めてのことです。20日夜に放送されたヤド・バシェム(ホロコースト博物館)からの国家式典は、司会者やラビ(ユダヤ教指導者)、ミュージシャンなど、最低限のプレゼンターしか居ない状態で事前に収録されたもの。さらに大統領や首相のスピーチも録画で流れ、未だかつてない式典になりました。

昨年までの朝10時の黙祷の様子(エルサレムーテルアビブ間の高速道路にて)
srugim.co.il より)


翌朝10時のサイレン・黙祷も、通常時より人通りも少なく、「国の時間が止まったのでは」と思わせるような毎年の光景からは程遠いものでした。我が家ではリビングにて家族3人で黙祷を捧げたのですが、これも今までにはない事でした。ソーシャルディスタンス(社会的距離)の重要性を国民が理解しているなか、最も多くの人が集まって黙祷が行われたのが、病院。コロナウイルスに感染した患者と、防護服に身を包んだ医師や看護師たちが集まって黙祷し、慰霊のろうそく(Ner Neshama)に火を灯している光景は、2020年の追悼日を象徴した1コマです。


病院での黙祷の様子。
ynet.co.il より)

通常、アラブ系の学校を除く教育機関でもホロコースト追悼日の公式行事は行われます。午前10時前から休み時間になり全校集会が行われるのですが、感染拡大防止のため、今年は、長期休校中の追悼日。ネットでの遠隔授業を休校中に行うなど、デジタル化の進む学校ではオンライン式典が行われ、ホロコーストに関する授業やワークショップがZoomで持たれたようです。しかし私の娘が通っているユダヤ教色の強いアナログ学校では、教育省がYoutubeで配信した式典を見るだけでした。

世俗的な学校で行われた、Zoomを使った追悼日の授業。
hashikma-rishon.co.il より)

学校での式典が無いのは残念でしたが、通常ならなかなかできない「家族で時間を掛けてホロコーストに触れる追悼日」というのは、有意義な経験でした。
私はFacebookへ投稿するために、アウシュビッツ生まれの女性を紹介する映像を和訳していたのですが、部屋を覗きに来た娘が興味を持ったようで、翻訳作業の手を止めて一緒に映像を見、アウシュビッツで人体実験を行ったヨーゼフ・メンゲレの話などをし、小一時間程娘と過ごしました。

私は作業に戻ったのですが、しばらくすると娘があるHPの画像をプリントアウトするように頼んで来ました。中身も見ずにプリントアウトし、しばらくたってからリビングに行くと… インターネットで見たのか、自分でヤド・バシェムのデータベースからホロコーストの犠牲者を2人選び、その2人のためのろうそくを作って灯りをともしていました。1人はドイツ代表選手として金メダルを獲得したにもかかわらず、ユダヤ人だからというだけで強制収容所に送られ亡くなった体操選手。

そしてもう1人は妻と同じ旧姓でウクライナのユダヤ人一家に生まれ、わずか8歳でゲットーでの虐殺の犠牲となった女の子でした(恐らく血縁関係は無い)。娘は、犠牲者の親族の名前等が記録されているヤド・バシェムのデータベースから、8歳の女の子の祖父母まで遡ってその家族の家系図を作る作業をしました。

学校の公式行事や授業では、学校側が選んだ犠牲者や生存者について学ぶという事でどうしても受け身になりがち。しかし今年はコロナの影響で子供たちが家に居るため、1人1人が「今日のホロコースト追悼日をどんな1日にするか」を自ら、能動的に考えなければいけませんでした。そういう意味で、いつもとは違う角度からホロコーストや追悼日と向き合えたのは、良い体験だったと思います。


テンプレート化したホロコーストからの脱却

毎年欠かすことのない厳粛なヤド・バシェムでの国家式典、学校でのセレモニーや授業。ホロコーストを風化させない為に必要な事です。しかし「国の教育により、ホロコーストに関しては公式見解とは違う見方が出来なくなってしまっている」という問題もあるのです。

「リビングで記憶を(Zikaron ba-Salon)」というムーブメントは、そんなテンプレート化したホロコーストを崩そうという試みの1つ。2011年に若者数人が追悼日の夜、テレビで国家式典を見る代わりに生存者を招いて生の証言を聞き、集まったメンバー同士で、ホロコーストが自分達の人生にどのような影響を与えたかを語り合ったのです。この会の後、オルタナティブな、慣例や多数派に対する新しい追悼日の過ごし方がイスラエル社会に必要だと感じた彼らは、「リビングで記憶を」という運動を立ち上げました。

自宅に生存者を招待し証を聞く―アットホームさもこの運動の魅力。
リビングで記憶を 公式Facebookより)


ホロコースト生存者の家族が、家に友人やご近所を招いて証言を聞く機会を作ったり、生存者二世がホロコーストを生きのびた親の体験談をシェアし、また集まった各々の体験談や個人的影響を語りあったり、ホロコーストに関する楽曲の演奏会の形式であったりと、フォーマットは多種多様。しかし、公式の場とは全く違った形の追悼日を体験できるという事で急速に広がりを見せ、近年ではユダヤ人人口の1割を超える75万人が参加するまでになりました。イスラエル人の多くが、国や学校、メディアなどの媒体・フィルターを通さずに、「ホロコーストに直接触れる経験」に飢えていたことが、この運動の広がりを見るとよく分かります。
そんな「リビングで記憶を」も、今年はZoomを使っての活動を余儀なくされました。しかし、オンラインという特性を生かし、多くの集まりが持たれ、小学校低学年や女性向け、ホロコースト生存者の二世や三世だけの集まりなど、例年では見られない形も現れました。もちろん、皆が同じ空間を共有する生の体験とは比べられませんが、芸能人がZoomでの集まりに参加したりホストを務めたりと、ネットでしかできない今年だからこその光景も見られました。

今年「リビングで記憶を」を今年行った集いの様子
(公式Facebookより)

アラブ人とホロコースト

またZoomでの追悼日ならではの収穫が別の場所でも。
アラブ系市民が追悼日に集まり、ホロコーストについて学ぶという動きです。立ち上げたのはアラブ人でありながらイスラエル国防軍の兵士となり、傷痍軍人となったヨセフ・ハダッドさん。

ニュース番組に出演し、活動理念を語るハダッドさん。
mako.co.il より)


ハダッドさんは現在、アラブ系市民のイスラエル社会参画を推進するためのNPOのCEOを務めています。NPOの名前は「お互いにアラビーム」と言い、このアラビームはヘブライ語では①アラブ人たち ②責任を持ち・支え合う、という2つの意味を持つ言葉遊びになっています。

ハダッドさんの「お互いにアラビーム」と前述の「リビングで記憶を」がタッグを組み、ホロコースト追悼日にアラブ人向けのZoom集会が数多く持たれました。集会にはイスラム教・キリスト教・ドゥルーズのアラブ系市民数十人が集まり、まずはホロコースト生存者の証に耳を傾け、その後はアラビア語オンリーで証への感想やホロコーストに対して感じている事を自由に語り合う時間が持たれました。

アラビア語で行われた「リビングで記憶を」の夕べ。左上がハダッドさん。
ヨセフ・ハダッド Facebookページより)


ハダッドさんは自身のSNSで、アラブ人がホロコーストを追悼する重要性を次のように語っています。

「イスラエルに住むアラブ人の大多数は、ホロコースト否認者ではありません。彼らの多くがホロコーストに対して敬意を持っているのは、ユダヤ人の皆様にも知って欲しいと思います。しかし私達の社会の中には、理解や情報の欠如があるのもまた事実。ユダヤ人の子供は、小学校からホロコーストについて学んでいます。ヤッド・バシェムや、ポーランドへの研修旅行、そして兵役中にもホロコーストに関するワークショップ。しかし私達は学校の歴史教育で、第二次世界大戦のトピックの1つとしてホロコーストに触れるのみです。しかしイスラエルでは少数派にあたる私達アラブ人こそ、ホロコーストに共感する事ができるはず。ユダヤ人の痛みを理解し、連帯感を表現する必要性、そして重要性があるのは明白です。」


ハダッドさんはアラブ人たちによる集まりを持った後、追悼日の明けた夜に再びSNSを更新。以下のように報告しました。

「この1日、多くの集まりやディスカッションを行いましたが、そのどれもが力強く感動的なものでした。どの会でも、民族や宗教・政治観などの違いの前にわたしたちは人間である、という意見が聞かれました。私達は互いにアラビーム(アラブ人+支え合い)であり続け、反ユダヤ主義や私たちの内にある人種差別と戦い、打ち負かさなければなりません。数百人という同胞と話し、私は自分の進む道が間違っていなかったと確信しました。アラブ社会はホロコーストとその記憶に敬意を表しています。そして、私達アラブ系イスラエル市民はホロコーストを永遠に忘れない事を誓います。」


アラブ人によるホロコーストの集いは今年で2年目。去年は地域の文化センターで行われたのですが、実際に足を運んで参加するのはやはり社会の目が気になります。コロナの影響でZoomを使っての会になったからこそ参加し、ホロコースト生存者の話が聞けたアラブ人の方も多かったはずです。今後、ホロコースト追悼日とアラブ系イスラエル人との関係がどうなっていくのか、注目です。

ヤッド・バシェムの「記憶のホール」に捧げられた花輪。
(©Jonas K.


コロナウイルスにより多くの制限がありましたが、イスラエルでは、様々な意味で記憶に残る追悼日となりました。

この惨劇が二度と繰り返されない事を祈り願いつつ…


「バラガン」とはごちゃごちゃや散らかったという意味のイスラエルで最もポピュラーなスラングです。ここでは現地在住7年のシオンとの架け橋スタッフが、様々な分野での最新イスラエル・トピックをお届けします。


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