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シナイ
Sinai エジプトとイスラエルの間に位置する三角形の地域がシナイ半島 Sinai Penisula で、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領したが、その後エジプトに返還された。半島の南端に近いシナイ山 Mt. Sinai は、モーセの十戒が神から与えられた地として多くの人々が観光登山に訪れる。しかし、実際にどの山だったかについては諸説ある。シナイ半島の大半は聖書の時代から荒地で、わずかのベドウィン人だけが暮らしている。2011年のエジプト革命後シナイ半島の情勢は不安定化している。
アラビア
アラビヤ 現在ではアラビア半島を指すが、古代には中近東全体を指した。ガラテヤ書4.25「アラビヤではシナイ山のことで・・」を参照。キャンプ・デービッド
Camp David アメリカ大統領専用の別荘。1978年、米・イスラエル・エジプトがここで和平に合意し、シナイ半島返還が実現した。(キャンプデービッド合意) また2000年7月にはバラク首相とアラファト議長がクリントン大統領の仲介で和平協議を行ったが、アラファト議長は合意を拒否。武装蜂起の準備を開始した。口伝律法
Oral Law ユダヤ教では、モーセがシナイ山で十戒を与えられた時、文書としての律法の他に口伝もで多くの律法が伝えられたことになっている。紀元以後に成立したタルムード Talmud は、その口伝律法を書き写したものとされる。シャブオット
Shavuot pentecost 七週の祭、五旬節などと言われる。シナイ山で律法をもらった日とされている。キリスト教ではペンテコステにあたるが、暦の関係で祝う日が異なる。シャルム・エルシェイク
(シャルムアッシャイフ Sharm el Sheik)またはシャルムエルシェイク シナイ半島南端に近い保養地で、エジプトとイスラエル、パレスチナの首脳会談の場所としてよく用いられる。2000年代中盤にイスラエル人を標的にしたテロが頻発するまではイスラエル人観光客も多く訪れていた。出エジプト
Exodus 紀元前1300年ごろ、エジプトからイスラエル民族が脱出した事件。これを記した書が、トーラー第二の書「出エジプト記」である。この後、イスラエル民族は40年間、シナイの荒野を放浪することになった。第二次中東戦争
1956年、イスラエルが電撃作戦でシナイ半島を占領した。スエズ動乱/危機とも。
【年表】
1967年 六日間戦争あるいは六月戦争(第三次中束戦争)6月5日から始まった戦争でイスラエルは東エルサレムをふくむ全パレスチナとシナイ半島、ゴラン高原を占領。
1978年 米・イスラエル・エジプトがキャンプ・デービッド合意、イスラエル軍のシナイ半島撤退など決める(9〜7)。
1982年 イスラエル軍、シナイ半島から撤退完了(4月)
2001年 エジプト・シナイ半島の保養地タバでイスラエル・パレスチナ間のサミットが行われるが、イスラエル総選挙により中断した。(1月)
2004年 イスラエル人観光客が多いシナイ半島のリゾート地で同時テロが発生、少なくとも36名のイスラエル人が死亡。(10.7)
2004年 シナイ・ガザの国境部に駐在するエジプト兵3名がイスラエルの誤爆により死亡。シャロン首相がエジプト政府に正式に謝罪。(11.18)
2012年 前年のエジプトでの革命を受けシナイ半島でイスラム教過激派が台頭、エジプト・イスラエル国境部で過激派との軍事衝突が頻発する。(8〜9月)
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